世界の高級品市場に何が起きているか — 中国消費者の変容とラグジュアリー業界の転換点
LVMH、リシュモン、ケリングなど世界大手の2025年業績が軒並み減速するなか、中国消費者の価値観変化と富裕層構造の変容が高級品産業に与える構造的影響を読み解く。
はじめに
世界の高級品(ラグジュアリー)市場が、2010年代の長期成長モデルの転換点を迎えている。牽引役だった中国の富裕・中間層消費者の行動が変容し、LVMHやリシュモン、ケリングなどの欧州大手が2025年に相次いで減収または成長鈍化を報告した。LVMH最高経営責任者のベルナール・アルノー氏は「2026年も容易ではなく、先が見通せない環境が続く」と述べており [4]、コロナ禍後の特需を経て長期的な需要構造の変化が業界の焦点となっている。
高級品消費を支えてきた中国での不動産バブル崩壊、当局による反汚職・贈答規制の継続、若年層の価値観変化(国産ブランド志向・体験重視)といった要因が複合的に作用している。一方で、超富裕層(ウルトラHNW層)に特化したポジショニングを持つ一部ブランドは相対的な耐性を示している。本稿では2025年の業績データを軸に、高級品市場の現局面と展望を整理する。
欧州大手の2025年業績と市場温度感
LVMHの減収とファッション部門の苦戦
LVMH(モエ・ヘネシー・ルイ・ヴィトン)の2025年通期売上高は808億ユーロ(前年比約5%減・為替除き1%減)となり、営業利益は9%減の178億ユーロ、利益率は22%まで圧縮された [1]。最大部門のファッション&レザーグッズ(ルイ・ヴィトン、ディオール)は売上高378億ユーロと前年比8%減となり、中国を含むアジア太平洋地域での落ち込みが全体を押し下げた [4]。
アルノー氏は業績発表において「2026年は見通せない(unforeseeable)」と異例の慎重な言葉を用い、業界全体に波紋を広げた [4]。投資家の間では、かつての二桁成長は過去のものとなり、今後は経済サイクルに左右される「普通の消費財企業」に近い評価を与えるべきかどうかの議論が再燃している。
リシュモン・ケリングの明暗
スイスのリシュモン(カルティエ、ヴァン クリーフ&アーペルなどのジュエリー・時計大手)の2025年3月期売上高は214億ユーロ(前年比4%増)と底堅い数値を維持した [2]。ジュエリー部門(Jewellery Maisons)は8%増で売上全体の72%を占め、超富裕層向けのハイジュエリー需要が価格弾力性の低さを示している。ただし2025年上半期の営業利益は17%減少しており、コスト管理への課題が残る [5]。
ケリングは2025年通期売上高203億ユーロ(前年比3%減)と不振が続いており、主力ブランドのグッチが北京・上海・成都など中国の主要都市で複数店舗を閉鎖した [3]。グッチは2020年代初頭には急成長していたが、中国顧客離れとブランドリポジショニングの遅れが重なり、業界内でも特に苦戦する局面が続いている。
中国市場の構造変化
不動産バブル崩壊と消費者信頼感の喪失
中国の高級品消費は2010年代から2022年頃まで世界市場を牽引したが、その根底にあった不動産価格上昇による「資産効果(wealth effect)」が失われつつある。中国の家計資産の約70%は不動産で構成されており、不動産市場の低迷が消費者の体感的な豊かさを圧迫している [4][5]。
2023〜2025年にかけて主要都市の新築住宅価格は下落基調を続け、恒大集団をはじめとした大手不動産デベロッパーの経営問題が報道されるたびに消費者センチメントは悪化した。高級品の購入が「自分へのご褒美」から「社会的リスク」として認識されるケースも増えており、とりわけ贈答目的(企業・官僚間の儀礼的な高額品授受)は当局の取り締まり強化が続く [1][3]。
若年層の「静かな消費」と国産ブランド台頭
20〜35歳の中国の若年富裕層(Gen Z・若いミレニアル世代)の間では、欧州ラグジュアリーブランドへの過剰な傾倒を「恥ずかしいこと」と見る文化的変容が観察されている。国産高級ブランドへの再評価(いわゆる「国潮」)や、物品より体験(旅行・飲食・ウェルネス)への支出シフトが進んでいる [4][5]。
リシュモンが2025〜2026年を通じて中国売上が「U字型の緩やかな回復」を示すと分析するように、急速なV字回復を期待する見方は少ない [2]。中国の消費者は「より要求水準が高く厳しくなっている」とリシュモン経営陣は述べており、単に価格を下げるのではなく商品価値の再訴求が必要とされている。
地域別ダイナミクスと耐性の差
日本・欧米での補完的需要
訪日外国人(インバウンド)消費が日本のラグジュアリー市場を支えている。円安環境が継続したことで、欧米・中東・東南アジアの旅行者が日本で高級品を割安に購入する行動が続いており、各ブランドの日本売上を押し上げた [1]。ただし2025年以降の円高方向への揺り戻しは、この「日本価格差」を縮小させるリスクをはらんでいる。
米国・欧州市場はトランプ政権下の関税政策や消費者信頼感の変動があるものの、超富裕層の購買力そのものへの打撃は限定的とみられている。エルメスのように徹底して「超希少性・超富裕層向け」に特化したブランドは、株式市場でも相対的に評価が安定している [6]。
カテゴリーによる耐性の差異
ジュエリー(特に高額のハイジュエリー)は、不況期でも超富裕層向けの実物資産として一定の需要が維持されやすい。リシュモンのジュエリー部門が相対的に好調なのはこの特性を示している。一方で「アスピレーショナル層(aspirational consumers)」をターゲットとしてきたウォッチ・バッグ・アパレルのエントリーライン商品は、中間富裕層の消費抑制の影響を強く受けている [2][4]。
業界の戦略的対応
価格戦略と商品ポートフォリオの刷新
主要ブランドは「ディスカウントなき需要維持」を目指し、値下げによる購買喚起ではなく商品の価値訴求と希少性強化に軸足を置いている。LVMHは一部商品で価格調整(引き上げ)を行いつつ、新規商品投入と店舗体験のリニューアルで顧客接点の強化を図っている [1]。
ケリングのグッチは、クリエイティブ・ディレクターを交代させ、ブランドイメージの刷新を進めている [3]。ブランド構築には数年単位の時間を要するため、短期的な業績改善は見込みにくいが、長期投資としての位置づけが強調されている。
デジタル・直販チャネルの強化
高級品ブランドが従来の百貨店卸売から直販(直営店・ブランド公式オンライン)にシフトする動きは加速している。中国では独自アプリや微信(WeChat)ミニプログラムを通じた公式チャネルでのデジタル購買がラグジュアリー消費の主流になりつつあり、データ主導の顧客管理(CRM)が競争優位の鍵となっている [5][7]。
注意点・展望
高級品市場の中国依存度は依然として高く、中国の消費回復なしに市場全体が2022年以前の高成長軌道に戻ることは困難とみられている。リシュモンが示す「U字型回復」が現実化するかどうかは、中国政府の景気刺激策の効果と不動産市場の底打ち確認にかかっている [2][5]。
一方で「超富裕層向け特化」「リアル体験の付加価値強化」「地域分散」という三つの戦略軸を実行できているブランドは、市場全体の調整局面でも収益性を維持できる可能性がある。また、インドや東南アジアなど新興富裕層市場の台頭が中国の補完として期待されており、LVMHを含む主要グループがインド出店加速や現地パートナーシップを強化していることも注目に値する [7]。
2026年については、中国市場の緩慢な回復、米国市場の底堅さ、欧州の関税リスクという三者のバランスの中で、業界全体としてはゼロ〜一桁台前半の成長率に留まるとの見方が多い。かつての二桁成長は特定ブランドを除けば当面期待し難い環境となっている。
Newscoda の見方
注目論点
LVMH 2025年通期売上808億ユーロ(5%減)・営業利益9%減178億ユーロ・利益率22%圧縮、ファッション&レザーグッズ378億ユーロ(8%減)と、ベルナール・アルノーCEOの「2026年unforeseeable」発言が業界の転換点を象徴する。一方でリシュモンのジュエリー部門8%増・売上比率72%は超富裕層需要の価格弾力性低さを示し、ケリングのグッチは北京・上海・成都での店舗閉鎖と苦戦が際立つ非対称な構図がある。
異なる視点
「中国不動産バブル崩壊」を主因とする分析は半分の真実で、20-35歳の若年富裕層の「国潮(国産ブランド再評価)」と体験消費シフトという文化的変容こそが構造変化の本丸だ。エルメス的な「超希少性・超富裕層特化」戦略と、アスピレーショナル層向け量産モデルの両極化は、もはや単一の「ラグジュアリー業界」として論じるべきではない局面に入った。
観察すべき変数
- LVMH・リシュモン・ケリングの中国向け四半期売上回復ペース
- ハイジュエリー部門売上のジュエリー以外(アパレル等)への波及度
- 中国微信ミニプログラム経由のラグジュアリー販売比率
- インド・東南アジア新興富裕層向け店舗出店ペース
- 円相場150-160円水準維持下の日本インバウンド消費
まとめ
世界の高級品市場は、中国の不動産バブル崩壊と若年消費者の価値観変容という構造的変化に直面し、2025年は主要グループが相次ぎ減収・減益となった。超富裕層向けジュエリーの一部に耐性が見られる一方で、アスピレーショナル層向け商品は大きく落ち込んでいる。LVMHのベルナール・アルノー氏が述べた「先が見通せない」という言葉は、コロナ後の特需消化が完了し、業界が次のビジネスモデルを模索する過渡期にあることを象徴している。中国市場が再び成長軌道に戻るまでの間、各社がいかに収益構造の多角化と価値訴求力の維持を両立させるかが、今後数年の競争優位を決定すると分析される。
Sources
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