経済

ブラジルの独自エネルギー転換——SAF・風力・太陽光とカーボン市場の全貌

サトウキビエタノールの蓄積された強みを活かし、持続可能航空燃料(SAF)・洋上風力・太陽光へと戦略を拡大するブラジル。ペトロブラスの脱炭素投資と新興の国内カーボンクレジット市場が、独自の「熱帯型エネルギー転換」を形成しつつある。

Newscoda 編集部
ブラジルの広大な平原に連なる白い風力タービン群の空撮

はじめに

ブラジルはG20諸国の中で最もクリーンな電力ミックスを持つ国の一つだ。水力発電が発電量の約60%を担い、風力・太陽光が急速に比率を高め、バイオエネルギー(サトウキビ・木材)が燃料需要の相当部分を賄っている。しかし一次エネルギーの全体像では石油・天然ガスへの依存が続いており、世界最大の食料輸出国であるブラジルの農業部門からの温室効果ガス排出も深刻だ。

こうした複層的な構造のなかで、ブラジルは「サトウキビエタノールで培ってきたバイオエコノミーの強みを、持続可能航空燃料(SAF)・洋上風力・太陽光・グリーン水素へと転換・拡張する」という独自の戦略を推進している。2024年12月に制定された国内排出権取引制度(SBCE)の法的枠組みと、2025年11月にCOP30の開催地ベレンで予定される国際交渉の場は、ブラジルのエネルギー転換政策に国際的な注目を集めている。ブラジルの財政課題とマクロ経済の不均衡が示す財政制約とグリーン水素のグローバル経済的可能性と課題が論じる技術的課題を念頭に置きながら、ブラジル固有のエネルギー転換の可能性と限界を分析する。

サトウキビエタノールからSAFへの戦略的転換

ブラジルのバイオ燃料の歴史と競争優位

1970年代の石油危機への対応として始まったProálcool(国家アルコール計画)以来、ブラジルはサトウキビを原料としたバイオエタノールの生産・利用において世界をリードしてきた。現在ブラジルのガソリンには最低27%のバイオエタノールが混合されており、フレックス燃料車(ガソリンとエタノールを任意の比率で使用できる)は国内乗用車の大部分を占める。このバイオ燃料エコシステムの成熟度は、新興バイオ燃料産業が直面する「鶏と卵」問題——インフラなき需要と需要なきインフラ——をすでに克服した貴重な競争優位だ。

サトウキビ由来エタノールのライフサイクルGHG排出削減効果は、ガソリン比で70〜90%と試算されており、他の農作物由来バイオ燃料(トウモロコシ等)を大幅に上回る。これはブラジルの熱帯気候下におけるサトウキビの高い単収(1ヘクタール当たり収穫量)と、エタノール製造プロセスでの砂糖きびバガス(搾りかす)活用による自家発電の効率によるものだ。

ペトロブラスのSAF戦略と初出荷

国営石油会社ペトロブラスは、このバイオ燃料の強みをSAF(持続可能航空燃料)に転換する戦略を本格化させた。2025年12月、同社はブラジルで初めて国際民間航空機関(ICAO)の持続可能性認証基準に適合したSAFを製造・出荷したと発表した。リオデジャネイロのトムジョビン国際空港(ガレオン)に3,000m³(約79万ガロン)が供給され、同空港で一日に消費される航空燃料量にほぼ相当する初回出荷量となった。

製造方法はコプロセシング(共精製)と呼ばれる手法で、既存の石油精製プロセスにコーン油または大豆油(最大1.2%)を混合して精製する。現在認証を受けたのはデュケデカシアス製油所(Reduc)で、2026年にはパウリニア(Replan)およびミナスジェライス州のガブリエルパッソス製油所(Regap)でも製造を開始する予定だ。製造されたSAFは再生可能部分に関してISCC-CORSIA認証を取得しており、国際航空の炭素相殺削減スキームに適合している。

ペトロブラスの2025〜2029年事業計画では、総投資額1,110億ドルのうちエネルギー転換関連に163億ドル(41%増)が配分されており、内訳はエタノール22億ドル、バイオ精製15億ドル、水素・CCS14億ドル、バイオディーゼル6億ドル、バイオガス6億ドルとなっている。2027年には「フューエル・オブ・ザ・フューチャー法(Fuel of the Future Law)」が発効し、国内線全便に最低1%のSAF使用が義務付けられ、この割合は2037年に10%まで引き上げられる予定だ。

SAFの国際的意義とブラジルの潜在的役割

国際航空はグローバルのCO₂排出量の約2〜3%を占め、他の輸送手段と異なり電化による脱炭素化が現時点では困難なため、SAFが唯一現実的な近中期の排出削減手段と位置づけられている。ICCANのSAF目標は2030年の航空燃料需要の10%をSAFで賄うことだが、現状の世界SAF生産量はその数%にも満たない。

ブラジルのSAFポテンシャルについて、BloombergNEFのブラジルトランジションファクトブック(2025年版)は「現在のプロジェクト群は2030年時点の世界SAF供給見込みの2%に過ぎないが、SAFが世界の航空燃料需要の45%をカバーする目標を達成するためにはブラジルの規模拡大が不可欠」と指摘している。ブラジルのサトウキビ・大豆・セルロースバイオマスの生産ポテンシャルを考えると、適切な技術投資と政策支援があれば世界最大級のSAF輸出国になりうる可能性がある。

風力・太陽光の急拡大と再生可能電力の構造変化

太陽光の急速な普及

ブラジルの太陽光発電容量は2026年初頭時点で68GWを超え、年間の新規導入量は世界トップクラスだ。再生可能エネルギーへの融資と政策支援の拡大、太陽光パネルの価格急落(中国製パネルの大量流入も一因)、分散型太陽光(屋根置き)の普及が相まってこの急拡大を実現している。企業・農家・家庭の自家発電需要が旺盛なほか、ブラジルの広大な農業地帯と赤道・熱帯に近い高い日射量が太陽光の経済性を一段と高めている。

発電コストの低下とともに、太陽光発電は電力市場での競争力を急速に高めている。ブラジルの電力オークション(入札制度)では再生可能エネルギーが最低落札価格を更新し続けており、新規電力契約の大部分が風力・太陽光に移行した。電力の「グリーン化」は製造業・鉱業・農業といった電力多消費産業の輸出製品の炭素フットプリント削減にも貢献し、欧州のCBAM(炭素国境調整メカニズム)に代表される貿易相手国の脱炭素要件への対応力を高める。

洋上風力の新フロンティア

陸上風力は北東部を中心にすでに成熟市場となりつつあるが、洋上風力はブラジルにとって全く新しいフロンティアだ。ペトロブラスは2025年6月、ブラジル初の洋上風力予備ライセンスをリオデジャネイロ沖の24.5MWパイロット事業として取得した。洋上風力のパイプライン全体(環境許可申請中案件)はすでに189GW超に達しており、北東部・南東部沖の両海域で複数の大規模事業が計画されている。

ブラジルの洋上風力への期待は、国内の電力需要増大への対応と、将来的なグリーン水素・グリーンアンモニア製造への電力源確保という二つの側面から生まれている。深海掘削技術で世界最先端に位置するペトロブラスが洋上風力にも参入することは、技術シナジーと産業政策の面で興味深い展開だ。ただし洋上風力は陸上風力・太陽光と比べて建設コストが高く、ブラジルの電力市場における価格競争力を確保するためには引き続き政策的支援が重要となる。

電力系統の安定性と送電インフラ

再生可能エネルギーの急拡大に伴い、電力系統の安定性と送電インフラ整備が課題として浮上している。ブラジルの電力消費地(南東部・南部の大都市圏)と再生可能エネルギーの豊富な発電地(北東部・中西部)の地理的乖離は、大規模な送電線投資を必要とする。2024〜2025年に発生した複数の大規模停電(一部は送電系統の問題に起因)は、系統安定化への投資の重要性を改めて示した。

蓄電(バッテリー)システムの普及も課題だ。水力発電が変動電源の調整役を果たしてきたブラジルでは、蓄電システムへの需要は他国より限定的だったが、気候変動による降雨パターンの変化が水力の調整能力に影響を与えつつある。長期的な電力系統の安定性確保のためには、揚水発電の整備と並行して、電池蓄電システム(BESS)の展開が求められる。

ブラジル国内排出権取引制度(SBCE)の発足

2024年12月制定の炭素市場法

2024年12月にブラジル国会で成立した法律15042号は、「ブラジル排出権取引システム(Sistema Brasileiro de Comércio de Emissões, SBCE)」の法的枠組みを確立した。これはブラジルが自国産業の排出量に対してキャップ(上限)を設定し、排出枠の取引を通じて効率的に削減を達成しようとする、EU-ETSに類した「カーボン市場法」の制定を意味する。

制度の対象は年間排出量2万5,000tCO₂e以上の事業体で、1万tCO₂e以上の事業体に報告義務が課される。フェーズドアプローチが採用されており、規制整備・排出量モニタリング・第一次排出割当計画(NAP)の策定を経て、制度が全面的に稼働するのは法成立から5〜6年後(2029〜2030年頃)との見通しだ。

制度は「規制トラック(強制的上限)」と「自発トラック(自主的なクレジットプロジェクト)」の二本立てで構成される。自発トラックには森林保護・土地利用変化・農地修復・その他環境補正メカニズムが包含される見通しで、アマゾンのREDD+(森林破壊・劣化防止)クレジットとの接続も想定されている。

ボランタリーカーボン市場と国際連携

法制化以前からブラジルのボランタリーカーボン市場(VCM)は規模を拡大してきた。2025年時点でブラジルのカーボンクレジット市場の規模は27億ドルに達したとされており、2034年には252億ドルへの拡大(CAGR 28.1%)が予測されている。クレジット種別ではREDD+が取引量の45%を占めるが、クレジット価格は平均5.54ドル/トンと低水準にある。一方、植林・再植林プロジェクト(ARR)は1クレジット38.67ドルと最高価格で取引され、プロジェクト種別による価格格差が大きい。

COP30ホスト国としてのブラジルは、パリ協定第6条に基づく「国際炭素市場(ITMOs)」の設計においても積極的な役割を果たしている。ブラジルは自国のREDD+活動や再生可能エネルギープロジェクトが生み出す炭素クレジットを国際市場と接続することで、炭素収益の国際的な流入を期待している。

ペトロブラスの「移行期の石油会社」戦略のジレンマ

石油生産の継続とネットゼロへの路程

ペトロブラスはブラジルのプレソルト(超深海塩下)油田の開発・増産を継続しながら、再生可能エネルギーへの投資を拡大するという二重の戦略を推進している。2025〜2029年計画では111億ドルの総投資のうちエネルギー転換に163億ドルを充てるが、残りの大部分はプレソルト油田の維持・拡大に向けられており、短中期的な石油生産は増加する見通しだ。

この姿勢はエネルギー転換を加速させたい国際投資家・ESG投資ファンドからの批判を受けるが、ペトロブラス経営陣は「ブラジルのプレソルト原油は炭素強度が相対的に低く、需要があり続ける限り最後まで残る石油の一つだ」と主張する。また石油収益なしにSAF・バイオエネルギー・洋上風力などの新規事業への投資資金を確保することは困難であり、「移行期の資金源として石油を活用する」という論理が採られている。

COP30を前にした政策コミットメントの強化

2025年11月にアマゾン・パラー州ベレンで開催されるCOP30を控え、ブラジル政府は国際社会に向けたエネルギー転換の野心度を高める姿勢を示している。NDC(国が決定する貢献)の改定、国家持続可能性分類体系(タクソノミー)の整備、そしてカーボン市場の国際接続に向けた交渉が、COP30の政治的文脈のなかで加速している。

ルーラ政権のエネルギー転換政策は、雇用創出・産業高度化・国際的環境評価の向上という複合目標を持っており、単純な「脱化石燃料」ではなく「ブラジルの強みを活かした新産業の育成」として位置づけられている。ブラジル農業・食料サプライチェーンの世界的役割が示す農業大国としての立場と、エネルギー転換の新興国としての立場を組み合わせ、「自然資本の最大活用国」というブランドを国際交渉で構築しようとしている。

ブラジルのエネルギー転換の課題と限界

財政制約と補助金依存

ブラジルのエネルギー転換政策は、政府の財政状況と表裏一体の関係にある。財政赤字と公的債務の累積が政策投資余地を制約するなかで、新エネルギー産業への補助金・税制優遇の維持可能性は常に問われる。SAF強制使用義務(2027年〜)は航空会社にコスト増をもたらすため、政府がSAFコストへの補助または購入義務緩和措置を検討する可能性があり、政策の実効性と財政バランスの間でトレードオフが生じる。

再生可能エネルギーへの投資も、電力オークションを通じた長期固定価格買取契約(PPA)への依存が大きい。金利環境の変化や政治的方針転換によっては、この枠組みが変更されるリスクも排除できない。

アマゾン保護とのジレンマ

ブラジルのエネルギー転換を語る際に避けて通れないのが、アマゾン森林の保護と農業・牧畜・エネルギー資源開発の間の緊張関係だ。カーボンクレジット市場の発展はアマゾン保護の経済的インセンティブを提供するが、バイオ燃料原料(大豆・サトウキビ)の生産拡大が間接的に森林転換圧力を高めるという批判もある。

ルーラ政権下でのアマゾン違法伐採の減少は国際社会から評価されているが、農業フロンティアとしてのセラード(ブラジル高原のサバンナ)の開発は依然続いており、生態系保全と農業・エネルギー生産の両立は難題であり続ける。ボランタリーカーボン市場のREDD+クレジットの信頼性(「アディショナリティ」「永続性」)についても、国際的な批判・検証が続いており、ブラジルの炭素クレジットの国際的信認確保が課題だ。

注意点・展望

ブラジルの2050年ネットゼロ目標達成に向けた「6兆ドル相当の機会」(BloombergNEF試算)は、適切な政策・資金・技術の組み合わせがあれば実現可能な射程にある。しかし現実には、エネルギー転換投資と財政安定性の両立、農業・エネルギー生産と生態系保護の調整、技術輸入依存(特に中国製太陽光パネル・EV)と産業自立化の間のジレンマが山積している。

2025〜2026年の注目点として、COP30でのブラジルNDCの野心度引き上げ、SBCEの実施規制の整備状況、ペトロブラスの洋上風力事業の具体化、そしてSAF義務化に向けた供給チェーン整備の進捗が挙げられる。風力・太陽光容量の急速な拡大が続く一方で、グリッドインフラの整備と電力系統の安定化が「量の拡大」に追いついていない点は引き続き注視すべき構造的課題だ。

まとめ

ブラジルのエネルギー転換は、サトウキビバイオエタノールという50年の蓄積を持つ産業基盤と、世界最大規模の再生可能エネルギーポテンシャルを土台に、SAF・洋上風力・太陽光・カーボン市場という新しい層を積み重ねる形で進展している。ペトロブラスが2025年末に達成したブラジル産SAFの初出荷、2026年初頭の太陽光容量68GW超え、そして2024年12月のカーボン市場法制定は、この転換が象徴的なレベルを超えて実体を帯び始めていることを示す。

しかしこの転換は、石油生産の継続・財政制約・農業拡大とアマゾン保護の葛藤という構造的矛盾を抱えたまま進行している。COP30の開催地として世界の注目を集めるブラジルが、国際的なコミットメントと国内の政治経済的現実の間でどのようなバランスを取るかが、今後のエネルギー転換の速度と深度を規定する最大の変数となろう。

Sources

  1. [1]Petrobras Launches SAF Produced in Brazil
  2. [2]Brazil Transition Factbook 2025 – BloombergNEF
  3. [3]Petrobras Delivers First SAF Volumes – S&P Global Commodity Insights
  4. [4]Sustainable Aviation Fuels in Brazil – Energy Research Office (EPE)
  5. [5]Implementation of Bioenergy in Brazil – IEA Bioenergy (2024)
  6. [6]Brazil Adopts Cap-and-Trade System – ICAP
  7. [7]Brazil Carbon Market Analysis – Sylvera
  8. [8]Brazil Renewable Energy 2026 Guide – Rio Times Online

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