マーケット

スイス高級時計、二つの生存戦略 — 希少性のリシュモンと普及価格のスウォッチ

中国需要の低迷と米関税で足踏みするスイス時計輸出の中、リシュモンは希少性戦略で増収を守り、スウォッチグループは普及価格帯で数量を稼ぐ。対照的な二社の対応を貿易統計と決算から比較する。

Newscoda 編集部

はじめに

スイスの高級時計産業が、二つの異なる生き残り方を試している。中国本土向け輸出の落ち込みが2年連続で続き、米国向けも関税を巡る不透明感から荷動きが鈍る中、スイス時計輸出全体は2026年上半期に前年比0.7%減とほぼ横ばいで着地した[4]。業界の総量が伸び悩む一方で、個社の明暗ははっきりと分かれている。

一方の雄であるリシュモン(カルティエ、ヴァシュロン・コンスタンタンなどを傘下に持つ)は、希少性を武器にした高価格帯戦略で2026年3月期の売上高を定率ベースで11%伸ばした[3]。もう一方のスウォッチグループ(オメガ、ロンジンなど)は、普及価格帯の店舗網とEC強化で数量を確保し、2026年上半期の売上高を定率ベースで8.5%押し上げた一方、営業利益は市場予想を下回った[2]。同じ中国減速・関税不透明感という逆風の中で、なぜ対照的な打ち手が併存し得るのか。両社はいずれも「スイス製」というブランドの本国性は共有しながら、収益構造の作り方が正反対になっている点が興味深い。希少性を守る側は在庫と生産数量を絞り込むことで価格決定力を維持し、普及戦略を取る側は店舗とECという需要接点を広げることで数量を確保する。どちらも中国本土という単一市場への依存度を下げるための代替手段という点では共通しており、業界全体が「脱・中国依存」の局面に入りつつあることがうかがえる。円安を追い風にした日本市場の位置づけについては、百貨店のインバウンド消費を押し上げる要因分析でも近い構図が論じられている。

リシュモンの構造 — 希少性で守る利益率

高価格帯ブランドの選別と絞り込み

リシュモンの2026年3月期決算では、専門時計部門(スペシャリスト・ウォッチメーカーズ)の売上高が実勢為替ベースで4%減少した一方、定率ベースでは1%増と、24カ月続いた厳しい局面からの改善が見られた[3]。営業利益率は3.4%にとどまるが、A.ランゲ&ゾーネ、ジャガー・ルクルト、ヴァシュロン・コンスタンタンなど最上位ブランドが下期にかけて回復基調を示したことが背景にある。グループ全体の売上高は22.4億ユーロ規模で定率11%増(実勢5%増)となり、第4四半期は定率13%増と加速した[3]。

同社は同時に、比較的知名度の低いボーム&メルシエをダミアーニ・グループへ売却する方針も決定した[3]。事業ポートフォリオを厳選し、希少性と高価格を維持できるブランドに経営資源を集中させる方向性がうかがえる。ジュエリー部門(カルティエ、ヴァン クリーフ&アーペル、ブチェラッティ、ヴェルニエ)は定率ベースで14%増、営業利益率30.5%・営業利益50億ユーロという高水準を維持しており、時計事業もこの収益構造に近づけようとする意図がにじむ。

地域別に見る需要の粘着性

地域別では米州が定率ベース17%増と牽引役となり、ジュエリー・専門時計の両部門で二桁成長が通年続いた[3]。日本も定率9%増と厳しい比較対象(前年の高い伸び)にもかかわらず底堅い成長を示している。中国本土・香港・マカオを合算した地域は低い一桁台の定率成長にとどまり、中国需要の弱さを他地域の伸びで補う構図が続いている。

経営陣は「マゾンの将来的な成長機会を最優先し、コスト規律を維持する」との方針を示しており[3]、短期的な数量拡大よりも、ブランド価値と価格体系を守る長期戦略を優先する姿勢を明確にしている。この選別的な戦略は、フランスの複合ラグジュアリー大手LVMHの動きとも軌を一にする。LVMHの時計・ジュエリー部門は2026年上半期に売上高52.3億ユーロ、利益は9%増の8.31億ユーロとなり、ティファニーとブルガリの高級ジュエリーが牽引役となった[5]。傘下のタグ・ホイヤーはF1(フォーミュラ1)を通じた露出でブランド価値を高めており、ここでも「数量よりも物語性と希少性」という共通のロジックが働いている。

スウォッチグループの構造 — 普及価格帯で稼ぐ数量

店舗網とECの二正面作戦

スウォッチグループの2026年上半期決算では、売上高が実勢為替ベースで2.0%増(定率ベースでは8.5%増)の31億2100万フランとなった一方、純利益は900万フラン、営業利益は5200万フランと、いずれも市場予想の1億2000万フランを下回った[2]。為替の目減りだけで売上高からおよそ2億フラン相当が失われたとされ、スイスフラン高が業績を押し下げる構造的な逆風になっている。

成長を支えたのは自社小売網の強化とEC拡大である。自社店舗経由の売上は定率ベースで18%増、オンライン販売は30%増と、直販チャネルの構築に軸足を置いていることが分かる。5〜6月には定率ベースで13.1%の伸びを記録し、7月にかけても勢いが続いたという[2]。四半期を追うごとに成長率が加速している点は、単発の需要喚起策ではなく、チャネル構造そのものの転換が奏功していることを示唆する。

ブランド別の温度差

ブランド別では、ミラノ・コルティナ冬季オリンピックの公式計時パートナーを務めるオメガが小売ベースで20%増と際立った成長を見せた一方、ロンジン・ティソ・ハミルトンといった中価格帯ブランドも二桁増収を記録した[2]。同社の戦略は、特定の旗艦モデルの希少性に依存するのではなく、価格帯を広く押さえたブランドポートフォリオ全体で数量を積み上げる点にリシュモンとの違いがある。裏を返せば、五輪のようなイベント露出や店舗投資が一巡した後に成長率をどう維持するかという課題も抱えている。

両者の比較

主要指標による横並び

比較項目リシュモン(希少性戦略)スウォッチグループ(普及戦略)
主力価格帯高価格帯・宝飾品中心中価格帯・エントリー機械式が中心
直近会計期間の売上成長定率+11%(実勢+5%、通期)定率+8.5%(実勢+2.0%、半期)
収益性ジュエリー部門営業利益率30.5%営業利益が市場予想未達(5200万フラン)
成長ドライバージュエリー・希少時計、米州・日本需要自社店舗・EC、オメガの五輪効果
中国依存度への対応他地域(米州・日本)の伸びで補完価格帯拡大とブランド分散で吸収
近い戦略を取る同業LVMH(ティファニー・ブルガリ・タグ ホイヤー)[5]

出典[2][3][5]の決算内容を基にすると、リシュモン・LVMHの二社は共に中国本土の需要低迷という共通の逆風に直面しながら、ジュエリー・希少時計という「物語性の強い商材」で収益を守る点で戦略が近い。対照的にスウォッチグループは、価格帯の広さとチャネル投資という「数量を守る」方向性を選んでいる。

適合ケースの違い

希少性戦略は、ブランド価値の毀損を避けられる反面、中間層の需要蒸発に対して脆弱という弱点を抱える。実際、スイス時計輸出全体で500〜3,000フラン帯が5.7%減少する一方、500フラン以下の普及帯は数量ベースで23.8%増え、7万ドル超のプレシャスメタル(貴金属)時計も6.5%減少している[4]。中間価格帯が最も打撃を受けやすく、入門帯と最上位帯が相対的に底堅いという二極化が輸出統計にはっきりと表れている。普及戦略はこの中間層の空洞化を、より広い価格帯とチャネル投資で相殺しようとするアプローチと言える。

米国向け輸出は2026年上半期に14.8%減となったが、2年間の比較では2.6%増と底堅さも見せており[4]、関税を巡る不透明感が短期的な荷動きを乱している面が大きい。実際、2026年1月の輸出額は前年比3.6%減となり、米国需要の反発が長続きしなかったことも確認されている[1]。米関税環境の変化次第では、両戦略の優劣が入れ替わる可能性も残る。

もう一つの見落とせない変数は為替である。スウォッチグループの決算では、スイスフラン高だけで売上高からおよそ2億フラン相当が失われたと説明されており[2]、通貨高が数量戦略の収益性をさらに圧迫する構図になっている。希少性戦略を取るリシュモンも為替の影響を免れないが、価格転嫁力が強い高価格帯商材ほど、通貨変動を販売価格に反映しやすいという違いがある。数量を軸に据える戦略ほど、為替という外生変数への耐性が相対的に弱くなりやすい点は、比較分析上の重要な論点である。

選択判断の軸

高級消費財のブランドが直面する選択は、時計業界に限らない。中間層の購買力が鈍る局面で、希少性を守って高価格を維持するか、価格帯を広げて数量を確保するかという判断軸は、化粧品・皮革製品など他の高級消費財カテゴリーにも共通する。日本は両社にとって中国減速の緩衝材となっている点も見逃せない。リシュモンの日本事業が定率9%増と際立つ一方、スイス時計輸出統計全体では日本向けが1.6%減とほぼ横ばいであった事実は[3][4]、円安を背景にした富裕層・インバウンド需要と、一般消費者の実需との間に温度差があることを示している。この点はトレーディングカードのオルタナティブ資産化で論じた「実需と資産性の分離」という論点とも重なる部分がある。

日本国内の資産形成という文脈では、シニア世代の資産流動化政策が示すように、相続・贈与を通じて富裕層向け消費に回る資金の流れが今後も高級時計・宝飾品市場の下支え要因になり得る。ブランド側にとっては、こうした資産移転を捉えられるかどうかが、希少性戦略の持続可能性を左右する変数の一つになる。

Newscoda の見方

本サイトとして注目するのは、スイス時計業界の対応が「ブランド価値を守るか、数量を守るか」という二者択一ではなく、収益構造そのものの作り替えを迫られている点だ。リシュモンのボーム&メルシエ売却は、希少性戦略を徹底するための事業選別であり、単なる不振事業の整理以上の意味を持つと Newscoda は捉える。

多くの業界解説は中国需要の減速という共通要因に焦点を当てがちだが、本サイトとしては、価格帯ごとの需要弾力性の違い――中間価格帯が最も脆弱で、入門帯と最上位帯が相対的に底堅いという二極化構造――が、今後のブランド再編の起点になり得ると考える。中間価格帯を主戦場とするブランドほど、統合や事業売却の対象になりやすい局面が続くとみられ、これはLVMH傘下のブランド構成にも共通して当てはまりうる論点である。

今後6-12か月で観察すべき変数:

  • リシュモンによるボーム&メルシエ売却完了後のポートフォリオ再編の有無
  • 米国の対スイス関税措置の帰趨と時計輸出への影響
  • 中国本土向け輸出が2桁台のマイナスから脱却するタイミング
  • 日本向け輸出額の推移(インバウンド需要と実需の乖離が縮小するか)
  • スウォッチグループの営業利益率が市場予想水準まで回復するかどうか

まとめ

スイス高級時計産業は、中国需要の減速と米関税を巡る不透明感という共通の逆風の中で、リシュモン・LVMHに代表される希少性戦略と、スウォッチグループの普及価格戦略という対照的な対応を見せている。前者はブランド価値と利益率を守る代わりに数量的な打撃を他地域の需要で補い、後者は店舗網とECへの投資で数量を確保する代わりに利益率で市場予想を下回った。500〜3,000フラン帯の落ち込みと500フラン以下の伸びという価格帯別の二極化は、中間層需要の弱さという構造課題を映し出しており、日本を含む各地域市場の温度差とあわせて、今後のブランド再編の行方を左右する変数として注視する必要がある。

Sources

  1. [1]Swiss Watch Exports Fall 3.6% in January as US Demand Drops Again - Bloomberg
  2. [2]Swatch posts better H1 sales but misses profit forecasts - RTÉ
  3. [3]Richemont delivers strong sales growth and solid results for the year ended 31 March 2026
  4. [4]FH - Swiss watch exports in the first half of 2026
  5. [5]LVMH Shows Encouraging Half-Year Results As U.S. And Asia Fuel Growth - Forbes

よくある質問

なぜスイスの高級時計輸出は伸び悩んでいるのか?
中国本土向け輸出が2年連続で減少し、米国向けも関税を巡る不透明感から2026年上半期は前年比14.8%減となった。中間層の需要縮小と為替変動が重なり、業界全体の総輸出額はほぼ横ばいから微減で推移している[1][4]。
リシュモンとスウォッチグループの戦略はどう違うのか?
リシュモンは希少性を維持する高価格帯の時計・ジュエリーに軸足を置き、増収率で優位に立つ。一方スウォッチグループはオメガなど中価格帯ブランドの店舗網強化とEC拡大で数量を確保する普及戦略を取っている[2][3]。
日本市場はスイス時計業界にとってどのような位置づけか?
スイス時計輸出統計では日本向けが2026年上半期に1.6%減とほぼ横ばいだったが、リシュモンの決算では日本の現地需要が前年比9%増と際立って強く、中国減速の穴を埋める市場として存在感を増している[3][4]。
500フラン以下の普及価格帯が伸びているのはなぜか?
高価格帯の買い控えが続く一方、入門機械式時計への需要は底堅く、2026年上半期は数量ベースで23.8%増加した。価格帯によって需要の強さが大きく異なる二極化が輸出統計に表れている[4]。

関連記事

最新記事