中小企業金融、担保依存から事業価値評価へ ― 経営者保証改革と新担保制度が刻んだ4年
2022年の経営者保証改革プログラムに始まり、2024年の事業性融資推進法成立、2026年5月の企業価値担保権施行に至る中小企業金融改革の経緯を時系列で整理し、銀行融資慣行がどう変わりつつあるかを論じる。
背景
出発点となった状況
日本の中小企業金融は、長らく不動産担保と経営者個人による連帯保証という二本柱に支えられてきた。銀行は融資審査において借り手企業の事業性そのものよりも、担保となる不動産の評価額と、経営者個人が背負う保証の重みを重視する傾向が強かった。この慣行は、OECDが指摘するように、2025年3月時点で日本の中小企業の約45%が公的信用保証付き融資を利用し、その残高は名目GDPの5.3%に達するという規模にまで肥大化している[6]。さらに公的金融機関による直接融資もGDP比4.2%分存在し、両者を合わせた公的支援の厚みは、民間銀行の与信審査能力そのものを空洞化させかねないという懸念を招いてきた[6]。
研究機関RIETIの分析は、この構造がもたらす副作用をより具体的に描き出している。信用保証付き融資の残高が大きい借り手ほど、通常の与信理論とは逆に、貸し倒れ率が高くなる傾向が過去のデータから確認されており、業況が悪化した企業が保証を追加で取得し続ける一種のモラルハザードが生じていた可能性が指摘されている[5]。担保・保証への依存は、銀行にとって「審査を簡略化できる」という短期的な合理性を持つ一方、経営が行き詰まった企業の延命と、本来支援すべき成長企業への資金配分の歪みという長期的なコストを伴っていた。
構造的な前提
もう一つの構造的な前提は、経営者個人保証が持つ心理的・実務的な負担の大きさである。経営者が会社の債務について無限責任に近い連帯保証を負う慣行は、経営破綻時に経営者個人の生活再建を著しく困難にするだけでなく、創業意欲や事業承継の意思決定そのものを萎縮させる要因になってきた。中小企業庁は、経営者の高齢化が進むなかで休廃業・解散件数の増加傾向が続き、後継者が未定のまま事業承継を断念する企業が少なくないことを課題として挙げている[4]。経営者保証の存在が「先代・後継者の双方から保証を取る」二重徴求という形で承継の障壁になっている実態も、対策の出発点として位置づけられてきた[4]。
こうした担保・保証依存の構造をどう転換するかという課題は、単発の規制強化では解決できない。金融機関の審査能力(目利き力)の底上げ、経営者の個人保証に代わる制度的な受け皿、そして企業の無形資産・将来収益力を担保として認識する新たな法制度という、少なくとも3つの要素を段階的に積み上げる必要があった。以下で見る2022年、2024年、2026年の3つの局面は、この積み上げの過程として理解できる。
2022年: 第1局面
2022年は、経営者保証依存からの脱却に向けた制度的な起点となった年である。同年11月2日、金融庁の金融審議会に「事業性に着目した融資実務を支える制度のあり方等に関するワーキング・グループ」が設置され、有形資産だけでなく将来キャッシュフローや知的財産などの無形資産も含めた事業全体を担保の対象とする新たな制度の検討が始まった[3]。この段階で構想されていた制度は、当時「事業成長担保権」という名称で呼ばれていた。
同年12月23日には、経済産業省・金融庁・財務省の3省庁が連携して「経営者保証改革プログラム」を策定・公表した[1]。金融庁はこのプログラムに基づき監督指針を改正し、金融機関が経営者保証を徴求する際の手続きを厳格化することで、理由の説明を伴わない安易な個人保証への依存を抑制する方針を打ち出した[1]。あわせて、各金融機関に対して経営者保証ガイドラインの浸透・定着に向けた取組方針の作成・公表を求めるなど、実務慣行の意識改革を促す施策が盛り込まれた[1]。
この時点でのアプローチは、既存の「経営者保証に関するガイドライン」の運用を強化する側面が中心であった。同ガイドラインには2019年12月に事業承継に焦点を当てた特則が公表され、2020年4月から適用が始まっており、前経営者・後継者の双方に保証を求める二重徴求を原則行わないことなどが定められていた[4]。2022年の改革プログラムは、この特則を含むガイドラインの実効性を高めるための監督・説明義務の強化という位置づけであり、法改正を伴わない行政指導ベースの取り組みだった点が特徴といえる。同時に、新たな担保制度の検討という、より抜本的な選択肢の議論もこの年に始まったことが、後の展開を規定することになった。
2024年: 第2局面
2023年2月10日、前年に設置された金融審議会のワーキング・グループが報告書を公表し、有形・無形を問わず事業全体の価値を担保とする新制度の制度設計が固まった[3]。この報告書を踏まえて政府が国会に提出した法案は、2024年6月7日に参議院本会議で可決・成立し、「事業性融資の推進等に関する法律」(法律第52号)として成立した[3]。
ここで重要な変化が生じている。検討段階では「事業成長担保権」と呼ばれていた制度が、法律上は「企業価値担保権」という名称で規定されることになった点である。呼称は変わったものの、制度の骨格――不動産担保や経営者保証に過度に依存せず、事業者と金融機関の信頼関係に基づいて、企業の将来性や技術力を含めた事業全体の価値に着目した融資を後押しするという狙い――は、2022年からの検討の延長線上にある[2]。
法律の成立と並行して、経営者保証をめぐる運用改定も進んだ。金融庁は2024年6月、「経営者保証改革プログラム」を受けた取組事例集を公表し、経営者保証に依存しない融資を促進するための金融機関の実務対応を具体例として示した。同年末の12月26日には、経営者保証を徴求する際の説明プロセスやモニタリング等に関する事例集を追加で公表し、監督指針改正で求めた「保証を求める理由の具体的な説明」が実務でどう運用されているかを可視化する取り組みも進められた。この段階は、2022年に打ち出した運用強化路線を掘り下げつつ、企業価値担保権という新法制度を同時並行で整備するという「二正面」の局面だったと整理できる。
2026年: 第3局面
法律成立から施行までの準備期間においても、制度の具体化は継続した。2025年4月30日には、金融庁が同法の施行令案および企業価値担保権に関する信託業務を規律する内閣府令案を公表し、実務上の細目を詰める作業が進められた[3]。同法は成立時点で「公布から2年6か月以内」の施行を予定していたが、金融庁は準備の進捗を踏まえてこれを前倒しし、2026年5月25日に企業価値担保権制度を正式にスタートさせた[2][3]。
企業価値担保権の最大の特徴は、不動産のような有形資産に限定されない担保設定を可能にした点にある。技術力、顧客基盤、ブランド、将来のキャッシュフロー創出力といった無形の要素を含め、事業全体の価値を一体として担保の対象にできる。金融庁はこの制度を「事業の強みを活かして成長するための資金調達」の新たな選択肢と位置づけ、スタートアップや事業承継、事業再生など、有形資産や個人保証に頼りにくい局面での資金調達支援を想定している[2]。制度の運用にあたっては信託の仕組みを活用し、企業価値担保権に関する信託業務の枠組みが整備された点も、実務上の重要な設計といえる。
2022年の運用強化路線と2026年の新法制度は、性質の異なる2つの手段である点に留意が必要だ。前者は既存の融資慣行のなかで経営者保証の徴求を抑制する行政指導型のアプローチであり、後者は担保の定義そのものを法律で拡張する制度改正型のアプローチである。2026年の施行は、この2つの流れが「経営者保証にも不動産担保にも過度に依存しない融資」という共通のゴールに向けて合流した到達点と位置づけられる。
直近の動き
制度施行前後の金融庁の対応を見ると、実務への浸透を急ぐ姿勢が読み取れる。2026年3月11日には、企業価値担保権信託契約等の書式例に関する勉強会の議事概要と書式例が公表され、金融機関が契約実務を進めるうえでの参考資料が整備された。同年4月10日には「事業者と金融機関の信頼関係に基づく事業性融資に関する基本的な考え方」等の案が公表され、制度の運用にあたって金融機関が求められる姿勢を明確化する動きも見られる。
制度開始後の2026年5月には、金融庁と中小企業庁が連名で「企業価値担保権制度と信用保証制度の利用に関する留意事項」を公表した。これは、企業価値担保権による融資と、既存の信用保証協会による保証付き融資という2つの制度が併存するなかで、金融機関や事業者が両制度の関係をどう整理すべきかを示すものであり、新制度が既存の信用保証スキームを置き換えるのではなく、当面は併存関係にあることを示唆している。制度施行直後の段階では、地域金融機関を中心に活用事例の蓄積が始まっている段階にあり、無形資産を含めた事業価値の評価手法や、担保権実行時の実務プロセスについては、今後の運用のなかで標準化が進むとみられる。
今後の展望
新制度の実効性を左右する最大の論点は、金融機関が無形資産や将来キャッシュフローをどこまで精緻に評価できるかという審査能力の問題である。不動産担保であれば市場価格という客観的な指標が存在するのに対し、技術力やブランド、顧客基盤の価値評価には高度な専門性が求められる。企業価値担保権の活用が広がるかどうかは、法制度の整備そのものよりも、金融機関側の目利き力の底上げが追いつくかにかかっている面が大きい。
OECDは2026年の分析で、より根本的な論点も提起している。公的信用保証による手厚い保護が、生産性の低い企業の市場退出を妨げ、いわゆる「ゾンビ企業」を市場シェアの14.3%にまで存続させている可能性を指摘し、保証のカバー率引き下げなど、銀行のリスク審査インセンティブを強化する方向の改革を提言している[7]。日本の生産性上昇率が年1.2%から0.3%まで鈍化してきたという同機関の分析を踏まえると、企業価値担保権の導入だけで金融仲介の非効率が解消されるわけではなく、信用保証制度全体の設計を含めたより広い改革が必要だという見方も成り立つ[7]。
一方で、無形資産を強みとするグローバルニッチ分野の中堅製造業や、後継者難に直面する企業にとって、不動産や個人保証に頼らない資金調達の選択肢が増えること自体には一定の意義があるとの評価もある。両論は必ずしも矛盾するものではなく、制度の「入口」を広げる政策と、既存の信用保証制度が抱える構造的な非効率を是正する政策は、並行して進められるべき異なる課題として整理できる。
Newscoda の見方
Newscoda としては、2022年の経営者保証改革プログラムから2026年の企業価値担保権施行に至る一連の動きを、単発の制度変更としてではなく、日本の銀行融資慣行における「審査対象の再定義」の過程として捉える視点が有用だと考える。担保や保証という代替的なリスク遮断手段に依存してきた融資慣行から、事業そのものの価値を審査する方向への転換は、金融機関の実務能力に対して従来より高い要求を課すものであり、制度の成否は法制度の完成度以上に、金融機関側の目利き力の底上げが伴うかどうかに左右される。
他の解説と異なる視点として、本稿は企業価値担保権を経営者保証改革の「代替」ではなく「並走」する施策として位置づけた。2022年の運用強化路線と2026年の新法制度は、対象とする課題も手段も異なり、金融庁・中小企業庁が両制度の関係整理をあらためて公表している事実は、新制度が既存の信用保証スキームを直ちに代替するものではないことを示している。
今後6〜12か月で観察すべき変数として、以下が挙げられる。
- 企業価値担保権を活用した融資の実行件数と、対象となる企業の業種・規模の分布
- 金融機関における無形資産評価の手法確立の進捗、および評価をめぐる紛争・訴訟の有無
- 経営者保証を徴求しない融資の割合が、監督指針改正の効果としてどこまで拡大するか
- OECDが指摘する信用保証カバー率引き下げなど、より広い信用保証制度改革の議論が政府内で進むか
- 企業価値担保権の担保実行が実際に発生した際の、雇用維持や事業継続への配慮がどう運用されるか
まとめ
日本の中小企業金融改革は、2022年の経営者保証改革プログラムという行政指導ベースの運用強化から始まり、2024年の事業性融資推進法成立による法制度としての「企業価値担保権」創設を経て、2026年5月の施行という3つの局面を経てきた。当初「事業成長担保権」と呼ばれた構想が最終的に企業価値担保権という名称で法定化された経緯そのものが、制度設計の焦点が事業の「成長性」という主観的な評価軸から、より包括的な「企業価値」という概念へと精緻化されていった過程を映し出している。
不動産担保と経営者保証という二本柱に依存してきた半世紀近い融資慣行が、この4年間で直ちに転換するとは考えにくい。信用保証付き融資が中小企業融資の相当割合を占める構造は当面残り、企業価値担保権の活用も、まずは無形資産の比重が大きいスタートアップや事業承継・再生局面から始まると見込まれる。それでも、担保の定義を法律で拡張し、事業全体の価値を審査対象とする制度的な選択肢を用意したこと自体は、22年ぶりの下請法改正が問うた取引慣行の見直しや、人手不足倒産の急増が示す中小企業の構造的な脆弱性と並び、中小企業を取り巻く課題に対する政策的な応答の一つとして位置づけられる。制度の実効性は、今後の運用実績のなかで検証されていくことになる。
Sources
- [1]「経営者保証改革プログラム」の策定について(金融庁)
- [2]金融仲介機能の発揮/事業性融資の推進(企業価値担保権等)(金融庁)
- [3]企業価値担保権の制度検討の経緯(金融庁)
- [4]事業承継時の経営者保証解除に向けた総合的な対策(中小企業庁)
- [5]Reforming Japan's Credit Guarantee Program for Small and Medium-sized Enterprises(RIETI)
- [6]Financing SMEs and Entrepreneurs 2026: Japan(OECD)
- [7]Reviving business dynamism in Japan(OECD Ecoscope)
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