中国EVメーカーの海外現地生産戦略——タイ先行、欧州で停滞、ブラジルへ布石
BYDを筆頭とする中国EVメーカーは関税回避を狙いタイ・ハンガリー・トルコ・ブラジルで現地生産を進めてきたが、欧州向け拠点は相次ぎ遅延・凍結に直面している。海外生産拠点をめぐる意思決定と実行の時系列を追う。
背景
出発点となった状況(中国国内のEV過剰生産能力と輸出攻勢)
中国の新エネルギー車(NEV)産業は、国内の需要を上回る生産能力を抱えたまま拡大を続けてきた。国内販売は不動産不況後の消費低迷や熾烈な値引き競争に直面し、2026年上半期の中国NEV小売販売台数は前年同期比で減少に転じた一方、輸出は加速している。この結果、中国のNEVメーカー約30社のうち、2025年通期で黒字を確保できたのはBYD・小米(シャオミ)・零跑(リープモーター)のわずか3社にとどまったと報じられている。
輸出主導への転換は、業界最大手のBYDにも表れている。BYDは2026年の海外販売目標を年初の130万台から150万台へ上方修正し、輸出台数を四半期ごとに更新し続けている。国内市場の飽和と収益性の悪化が、海外生産拠点の獲得を単なる選択肢ではなく経営上の必須事項に変えたことが、本稿で追う一連の工場建設・稼働・遅延の背景にある。中国の輸出主導型成長モデルが抱える構造的な限界については、中国経済の輸出攻勢とデフレ同居の分析で詳しく論じた。
構造的な前提(各国の関税・貿易防衛措置)
中国製EVの輸出攻勢に対し、主要市場は関税による防衛を強めた。欧州委員会は2024年10月30日付で、中国製バッテリー式電気自動車(BEV)に対する確定相殺関税を発動した。税率は企業ごとに異なり、BYDグループ17.0%、吉利(Geely)グループ18.8%、上汽(SAIC)グループ35.3%、上海テスラ7.8%、非協力企業は35.3%が適用される。この措置は5年間適用される見込みで、EUの通常関税10%に上乗せされる形となるため、BYD車の場合は合計で最大27%程度の関税負担が生じる構造になっている[1]。EUの対中貿易防衛措置全体の広がりについては、EU対中国通商摩擦の全容で詳述している。
関税を域内生産で回避する動きは自動車業界に限らないが、EVは車両単価が高く関税負担の絶対額が大きいため、現地生産への転換インセンティブが特に強い。加えてトルコはEUと関税同盟を結んでおり、トルコ製の完成車はEU向けに輸出しても追加関税がかからない。この「関税同盟を利用した迂回輸出」の仕組みが、後述するトルコ投資の当初の合理性を支えていた。
タイ工場: 第1局面(先行稼働の実績)
中国EVメーカーの海外現地生産で最も先行したのがタイだった。BYDは2024年7月4日、ラヨーン県のWHAラヨーン36工業団地で、東南アジア初、かつ中国本土外で自社が完全所有する初の乗用車工場を稼働させた。敷地面積は約94.8万平方メートル、年産能力は15万台とされる[2]。
この工場は主に右ハンドル仕様車を生産し、タイ国内向けに加えてブルネイ・インドネシア・マレーシア・シンガポールなどASEAN域内への輸出拠点としての役割を担う設計になっている[2]。生産開始からわずか4カ月で組み立て累計1万台に達するなど立ち上がりは早く、その後も生産台数を積み増してきた。タイ市場における中国メーカーと日系メーカーの競争構造そのものについては、タイの日系vs中国EV市場シェア争いで扱っているため、本稿では市場シェアの詳細には立ち入らない。
重要なのは、タイ工場が「関税回避のための海外現地生産」という中国EVメーカーの戦略における最初の実証例となった点である。ASEAN域内という比較的地理的・政治的摩擦の少ない市場で先行稼働させ、量産・品質・現地雇用のノウハウを蓄積したうえで、より通商摩擦の激しい欧州・南米への展開に踏み出す——この順序立てられたアプローチが、後続のハンガリー・トルコ・ブラジル各案件の土台になっている。
ハンガリー・トルコ: 第2局面(欧州市場アクセスを狙った投資決定と遅延)
タイでの成功体験を経て、BYDは欧州市場への直接アクセスを狙い、ハンガリーとトルコという2つの拠点に同時並行で投資する計画を進めた。しかし、この局面は当初の想定通りには進んでいない。
ハンガリーのセゲドでは、300ヘクタールの敷地に乗用車工場が建設された。当初2023年末の発表時点では3年計画とされていたが、その後2025年末への前倒しが図られ、2026年1月末には試験生産(トライアル・プロダクション)が始まった。計画上の年産能力は20万台、従業員数は約960人(大半が現地採用)で、最初の生産車種はハッチバック「ドルフィン・サーフ」とされる[3]。BYDはこの工場を「欧州向けに欧州で造る」拠点と位置づけ、2025年には欧州本部もブダペストに移転した[3]。
ところが2026年6月、BYD副総裁のステラ・リー氏がロイターの取材に対し、セゲド工場での車両組み立て開始は2025年9月時点の想定から約1年遅れ、2026年第4四半期にずれ込むと明らかにした[4]。試験生産と量産開始の間で計画修正が繰り返されている状況がうかがえる。
トルコの案件はさらに深刻な停滞に直面している。BYDは2024年半ば、マニサ県に10億ドルを投じる工場計画を発表し、エルドアン大統領も調印式に出席した。年産能力15万台、雇用5000人という規模で、当初は2024年末から2025年中の稼働開始が見込まれていた[5]。しかし2026年6月9日、リー氏はロイターに対し、トルコでの建設は着工すらしておらず、計画は事実上凍結状態にあると説明した。理由としてEUの関税引き上げによりトルコ拠点の投資対効果が低下したことを挙げ、「現時点での最優先はハンガリーだ」と述べた[4]。
トルコ側もこれに反応している。トルコ政府は投資の進捗が見られないとして、2026年初めからBYDに付与していた輸入税免除措置を停止したと報じられた。トルコの制度上、投資が完了しない場合には既に受けた優遇措置の返還義務が生じる可能性があり、地元の業界団体幹部は計画が正式に撤回されれば、BYDはトルコ市場で得ていた優遇的地位を失い、他の中国メーカーや欧州メーカーに市場を奪われかねないと警告している。BYDは前年、トルコのEV・ハイブリッド車販売で24%のシェアを握っていた[5]。BYDは代替拠点として、フォルクスワーゲンのドイツ・ドレスデン工場の遊休スペースの活用や、南欧(特にスペイン)での既存工場買収の検討を進めているとされる[5]。新設よりも既存プラントの取得を優先する姿勢は、後述する吉利・奇瑞の動きとも共通する。
ブラジル・その他: 第3局面(現時点までの到達点)
南米最大の投資先と位置づけられるブラジルの拠点も、当初計画からの遅延を経験している。BYDはバイーア州カマサリにあった旧フォード工場を転用し、年産能力15万台の工場を建設中で、これは中国本土外でのBYD最大級の投資案件とされる。当初は2025年初頭の稼働開始が目標とされていたが、労働環境をめぐる調査や豪雨などを理由に工程が遅れ、2025年末までに半分解状態(SKD)キットからの組み立てを開始し、「完全稼働」は2026年12月を新たな目標として設定し直された。完成後は直接雇用1万人、間接雇用を含め2万人規模の雇用創出が見込まれている[6]。ブラジルでのBYD車販売は2023年の1万7937台から2024年には7万6713台へと328%増加しており、市場としての重要性が投資継続の動機になっている[6]。
一方、海外現地生産に踏み出しているのはBYDだけではない。吉利(Geely)は新規工場の建設よりも、傘下ブランドの余剰生産能力を活用する道を選んでいる。ボルボ・ポールスターの既存欧州拠点に加え、フォード・ヨーロッパの遊休生産能力の一部利用や、ルノーとの提携によるSUV生産などがその例だ。奇瑞(Chery)はスペイン・バルセロナで完成車生産を行っており、小鵬(Xpeng)はオーストリアのマグナ・シュタイア工場で車両を組み立てている。いずれも「欧州域内で造ることで関税を回避する」という同じ論理に基づく動きであり、BYD一社の事情ではなく、中国EV産業全体が採用しつつある展開パターンであることを示している[7]。
直近の動き
2026年7月時点で確認できる状況を整理すると、タイ拠点は稼働から2年を経て安定的に生産・輸出を続ける唯一の「完成形」であるのに対し、欧州向けの2拠点は明暗が分かれつつある。ハンガリー・セゲド工場は試験生産の段階を終え、2026年第4四半期の車両組み立て開始という新たな目標に向けて建設・設備導入が進行中である[3][4]。対照的にトルコ・マニサの計画は着工しないまま凍結が続き、トルコ政府による税優遇停止という具体的な代償も生じている[5]。ブラジル拠点は2026年末の完全稼働を新目標としつつ、SKDキット組み立てという形で部分的な生産を先行させる段階にある[6]。
この局面全体を通じて浮かび上がるのは、中国EVメーカーにとって「現地生産=関税回避の即効薬」ではなく、労務・許認可・現地サプライチェーンの構築といった実行段階の課題が、当初想定より重くのしかかっているという構図である。
今後の展望
ハンガリー拠点が2026年第4四半期に予定通り車両組み立てを開始できるかどうかは、BYDの欧州戦略全体の試金石になる。ここで再び遅延が生じれば、EU域内での「メイド・イン・EU」要件(公共調達などで域内付加価値の高い車両を優遇する制度整備の動き)への対応が一段と難しくなる可能性がある。トルコ案件については、BYDが正式に撤回するのか、税優遇の再交渉によって計画を再開するのかが焦点となる。撤回の場合、トルコ市場で先行していたBYDのシェアを他の中国メーカーが奪う展開も想定される。
ブラジルについては、2026年末の「完全稼働」目標が今回も後ろ倒しされるかどうかが当面の注目点だ。加えて、吉利・奇瑞・小鵬など他の中国メーカーが欧州の遊休生産設備の取得をさらに進めるかどうかも、業界全体の現地生産シフトの速度を左右する変数となる。
Newscoda の見方
本サイトが注目するのは、中国EVメーカーの海外現地生産戦略が「関税回避」という単一目的では説明しきれなくなっている点だ。タイでの先行実績が示すように、現地生産は関税負担の軽減だけでなく、為替リスクの分散や現地部品調達網の構築、政治的な受け入れやすさの獲得といった複合的な効果を持つ。他方でハンガリー・トルコ・ブラジルの遅延が示すのは、こうした戦略が「工場を建てれば完結する」単純な話ではなく、各国の労務規制・許認可・インフラ事情という実行リスクに強く規定されるという現実である。
多くの報道は個別拠点のニュースを単発で扱いがちだが、本サイトはタイ・ハンガリー・トルコ・ブラジルの4拠点を横断して見ることで、「先行成功モデル(タイ)を欧州・南米で再現しようとして遅延する」という共通パターンを描き出す点に独自性を置く。特にトルコでの計画凍結は、関税同盟という制度的優位だけでは投資決定を維持できないことを示す事例として重要だ。
今後6〜12カ月で観察すべき変数は以下の通りである。
- ハンガリー・セゲド工場が2026年第4四半期の車両組み立て目標を達成できるか
- トルコ案件が正式撤回されるか、税優遇の再交渉により再始動するか
- ブラジル拠点の「2026年末完全稼働」目標が維持されるか
- 吉利・奇瑞・小鵬など他の中国メーカーによる欧州遊休工場取得の追加事例の有無
- EUの「メイド・イン・EU」型の域内付加価値要件が現地生産計画に与える影響
まとめ
中国EVメーカーの海外現地生産戦略は、タイでの先行稼働という成功体験を土台に、欧州(ハンガリー・トルコ)と南米(ブラジル)へと同時展開されてきた。しかしその実行過程では、ハンガリーの組み立て開始が当初予定から約1年遅れて2026年第4四半期にずれ込み[4]、トルコの10億ドル規模の計画が着工すらしないまま凍結し税優遇も停止され[5]、ブラジルも完全稼働の目標が2026年末へ後ろ倒しされる[6]など、各拠点で遅延が常態化している。これは中国EV産業の輸出主導型成長モデルが直面する「現地化の実行コスト」を浮き彫りにするものであり、吉利・奇瑞・小鵬といった他メーカーも巻き込みながら、今後1年で欧州における中国製EVの生産体制がどこまで実体化するかが問われる局面にある[7]。
Sources
- [1]EU Commission imposes countervailing duties on imports of battery electric vehicles (BEVs) from China — European Commission (Access2Markets)
- [2]BYD opens its first Southeast Asian auto plant in Thailand — electrive.com
- [3]BYD begins trial production of passenger cars in Hungary — electrive.com
- [4]BYD puts Turkey plant plans on hold – and seeks alternative in Europe — electrive.com
- [5]Chinese carmaker BYD suspends major project in Turkey — AGBI
- [6]BYD's delayed Brazil factory to be operational by 2026 end — just-auto
- [7]China's Geely, Hiding In Plain Sight, Cranks Up European Auto Campaign — Forbes
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