ブリとサーモンが牽引する養殖輸出 — 円安追い風の先にある種苗・飼料コストの壁
円安と生食需要の拡大を背景に、ブリ・サーモンなど養殖水産物の輸出が過去最高を更新し続けている。だが日本の養殖生産量は世界の養殖大国に見劣りし、種苗・飼料コストの高さという構造的な弱みが残る。輸出拡大の経緯と今後の課題を整理する。
背景
出発点となった状況
日本の水産業は長らく「獲る漁業」を主軸としてきた。しかし天然資源の減少が続くなかで、養殖業は国内供給と輸出の双方を支える存在として重みを増しつつある。とりわけブリ(養殖出荷時にはハマチとも呼ばれる)とサーモン(ぎんざけ、トラウトサーモン、大西洋サケなど)は、寿司・刺身という生食文化を背景に海外での引き合いが強まり、日本の農林水産物・食品輸出を牽引する主力品目に育った。天然資源の減少という供給制約に直面する日本の水産業全体の構造については、「魚が獲れない国」に近づく日本で扱ったサンマ・サケの不漁とも表裏の関係にある。獲れなくなった魚の代わりに、育てた魚で輸出と国内供給の双方を賄おうという流れが、養殖業への期待を押し上げている。
構造的な前提
養殖業の拡大を支えるマクロ環境として、円安の進行がある。輸出企業にとって円建ての手取りが増える一方、餌の原料となる魚粉や稚魚(種苗)の多くを輸入に頼る養殖業にとっては、コスト増という逆風にもなる。この「円安が追い風でもあり逆風でもある」という二面性が、日本の養殖水産物輸出を理解するうえでの前提となる。輸入依存というコイン裏表の構造は、日本の食料安全保障と自給率で論じたカロリーベース自給率38%という数字とも通底する論点であり、水産物の生産基盤もまた輸入資材への依存から自由ではない。
もう一つの前提は、世界の養殖業そのものが漁業を上回る規模に成長したという事実だ。国連食糧農業機関(FAO)によれば、2022年に養殖による水生動物生産量が初めて漁獲量を上回り、世界の漁業・養殖業生産は223.2百万トンに達した。養殖生産量は130.9百万トン(うち水生動物94.4百万トン)で、世界全体の水生動物生産の51%を養殖が占めるに至った[1]。この構造転換のなかで、中国・インドネシア・インド・ベトナム・バングラデシュ・フィリピン・韓国・ノルウェー・エジプト・チリの上位10カ国が世界の養殖生産量の89.8%を占めており、日本はこの上位10カ国に名を連ねていない[1]。世界的な「育てる漁業」への転換の波に、日本がどこまで乗れているかが、輸出拡大の持続性を左右する。
日本が上位10カ国から外れている背景には、養殖経営の収益構造そのものの弱さがある。養殖業のコストのうち大きな割合を占めるのが飼料代であり、稚魚(種苗)の確保にかかる費用も含めると、コストの大半が輸入原料の国際相場や為替水準に左右される構造となっている。ノルウェーやチリのような養殖大国は、広大な海域と規模の経済を生かして生産単価を抑え込む一方、日本は限られた漁場と中小規模の経営体が中心であるため、単位生産量あたりのコストが相対的に高止まりしやすい。この収益構造の差が、輸出額の伸びほどには生産量が拡大しない、という日本の養殖業特有のパターンを生んでいる。
2022年前後: 世界の養殖転換と円安の始動
2022年は、世界の養殖業にとって一つの区切りとなった年だ。FAOの集計で養殖生産が漁獲量を初めて上回り、養殖業が世界の水産物供給の主軸になったことが公式に確認された[1]。同時期、日本国内では歴史的な円安が進行し、輸出企業の採算性が改善する局面に入った。この二つの潮流が重なったことで、日本の養殖水産物、なかでもブリとサーモンの輸出環境が好転し始めた。
ブリは日本近海の暖流域で古くから養殖されてきた魚種で、脂の乗りの良さから生食(刺身・寿司)に適しているという特性を持つ。JETROの整理によれば、日本の天然ブリ漁獲量は2010年以降おおむね10万トン台で推移する一方、養殖ブリ(及び近縁のカンパチなど)の生産量は海面養殖業全体の過半を占める規模にまで拡大しており、鹿児島湾や豊後水道といった主要産地を中心に、モジャコと呼ばれる稚魚を捕獲してから約18カ月かけて60センチ程度まで育てる養殖サイクルが確立している[7]。この既存の生産基盤の上に、海外での生食需要拡大という追い風が重なったことが、その後の輸出急拡大の土台となった。
サーモンについても、同時期に構造変化の兆しが表れていた。国内で消費されるサーモンの多くはノルウェーやチリからの輸入品だったが、円安による輸入コストの上昇と、国際的なサーモン価格の高止まりが、国産養殖サーモンにとって相対的な価格競争力を生み出す局面に入った。宮城県を中心とするぎんざけの海面養殖に加え、静岡県のProximar Seafoodによる陸上養殖式(RAS)でのアトランティックサーモン生産など、複数の生産形態が同時並行で立ち上がり始めたのがこの時期だった。
2024〜2025年: 輸出額の連続更新とサーモン投資の本格化
2024年の農林水産物・食品輸出額は1兆5,073億円となり、初めて1.5兆円を突破した。ただし水産物の輸出額は3,609億円で前年比マイナス7.5%となっており、中国による日本産水産物の輸入停止措置の影響が色濃く残る年でもあった[3]。
流れが明確に変わったのは2025年だ。同年の農林水産物・食品輸出額は1兆7,005億円(前年比12.8%増)となり、13年連続で過去最高を更新した。水産物の輸出額も4,231億円(前年比17.2%増)と大きく回復し、全体の伸びを上回るペースで拡大した[2]。中国向け輸出が停滞するなかでも、北米・韓国・ASEANなど代替市場への展開が進んだことが、水産物輸出全体の回復を後押ししたとみられる。
この時期、企業レベルでの投資判断も相次いだ。ニッスイは2026年1月15日、チリの水産大手ペスケラ・ヤドラン社(Pesquera Yadran S.A.)を完全子会社化したと発表した。既存の南米子会社サルモネス・アンタルティカ社との統合により、南米でのサーモン養殖事業規模を2030年までに年産8万トン超、現状比で約2.5倍に拡大する計画だ[4]。ニッスイはこの投資判断の背景として、人口増加と健康志向を背景にタンパク源としてのサーモン需要が世界的に伸び続けている点を挙げており、大西洋サケ・トラウト・ギンザケという複数魚種を組み合わせることで、需要の変化に対応できる生産ポートフォリオを構築する狙いがあるとしている[4]。日本の水産大手が川上の生産資産を海外に求める動きは、国内の限られた漁場・種苗供給に依存する従来型の養殖経営とは異なる発想であり、グローバルなバリューチェーンを自社で確保することで、為替や現地規制の変動リスクを分散させる狙いがあるとみられる。
国内では、陸上養殖への外国資本の参入も本格化した。米フォートレス・インベストメント・グループが主導する投資ファンドは、三重県でRAS技術を用いた陸上養殖施設を運営するピュアサーモン・ジャパンに1億8,000万ドル超の優先出資を実行した。同施設は年産1万トン規模で稼働すれば国内最大級の陸上サーモン養殖施設となる見通しで、投資の狙いとして国内の高級水産物需要の取り込みに加え、輸入依存の低減による食料安全保障の強化が挙げられている[5]。海外の投資マネーが日本の養殖インフラに向かい始めたこと自体が、この産業の成長性が国際的に認知され始めた証左といえる。
2026年: 上半期の輸出過去最高とブリの急伸
2026年に入ってからも、輸出拡大の勢いは衰えていない。2026年上半期(1〜6月)の農林水産物・食品輸出額は8,977億円となり、前年同期比10.9%増と、上半期として過去最高を記録した。牛肉・米・緑茶・ブリなどの品目が伸びをけん引し、上位10の輸出先すべてで前年を上回る実績となった[6]。
なかでもブリの伸びは際立つ。上半期のブリ輸出額は前年同期比69%増となり、金額の増加幅(178億円増)で牛肉に次ぐ2位の伸びを記録した。北米・韓国向けの需要が堅調に推移し、単価の上昇も輸出額を押し上げる方向に働いた[6]。ブリは金額ベースで日本最大の輸出フィン魚(切り身・ロインとして流通する魚種)となっており、天然ブリの年間漁獲量が7万〜8万トン程度で推移するのに対し、養殖ブリの生産量は13万トンを超える水準にまで拡大しているとされる[7]。この構図は、天然資源の制約を養殖が補い、輸出の主力を担うという役割分担が既に定着したことを示している。
国内のサーモン生産でも、複数の陸上養殖プロジェクトが実証段階から商業段階に移りつつある。静岡県のProximar Seafoodは自社ブランドのアトランティックサーモンの収穫を進めており、三重県のピュアサーモン・ジャパンも建設と並行して生物生産を開始した[5]。海面養殖と陸上養殖という異なる生産方式が並行して拡大することで、国内サーモン供給の裾野が広がりつつある局面にある。
直近の動き
直近では、輸出拡大を支える生産・投資の両面で動きが続いている。ニッスイのヤドラン社完全子会社化は2026年1月に完了しており、南米での生産能力拡大は今後数年かけて段階的に実行される見通しだ[4]。同社は当初の統合フェーズでは採算改善を優先し、2027年度以降の本格的な収益貢献を見込んでいるとしている[4]。
陸上養殖分野では、ピュアサーモン・ジャパンへの追加出資に加え、複数の異業種企業が新規参入を検討する動きが確認されている。RAS技術を用いた陸上養殖は輸送コストや天候リスクを抑えられる一方、初期投資額が大きく、電力コストの負担も重い。フォートレス主導の資金調達が実現した背景には、国内の高級水産物需要の底堅さと、食料安全保障の観点から国産化を後押しする政策的な追い風があるとみられる[5]。
一方で、ブリ・サーモンともに海外での競合が強まっている点も見過ごせない。生食需要の拡大は日本産品にとって追い風である一方、需要の高まり自体が新規参入を招き、東南アジアや南米など他の生産国・地域での類似養殖の拡大にもつながっている。輸出額の伸びが単価上昇によって支えられている面がある以上、供給が世界的に増えれば価格競争にさらされるリスクは常に残る。
さらに、中国による日本産水産物の輸入停止措置の影響も、なお完全には解消していない。2024年の水産物輸出額が前年比マイナスとなった主因の一つがこの措置であり[3]、2025年にかけての回復は北米・韓国・ASEANなど代替市場の開拓によって支えられた側面が大きい[2]。特定の輸出先への依存度が高い品目ほど、政治的な要因による需要変動の影響を受けやすいという教訓は、ブリ・サーモンの輸出戦略においても引き続き意識される論点だ。
今後の展望
中期的な焦点は、日本の養殖業が抱える構造的なコスト面での弱さを、輸出拡大のペースがどこまで補えるかにある。世界の養殖生産量の9割近くを占める上位10カ国に日本が入っていないという事実は[1]、生産規模そのものでノルウェーやチリといった養殖大国に見劣りする現状を象徴している。背景には、種苗(稚魚)の確保や飼料の調達を輸入に頼らざるを得ない構造があり、円安が輸出には追い風でも、生産コストには逆風として作用するという二面性が、規模拡大の重荷になり続けている。
政府は農林水産物・食品輸出全体で2030年に5兆円という目標を掲げており、水産物、なかでも養殖品目はその達成に向けた主力候補として位置づけられている。高付加価値化を軸とした輸出戦略の広がりについては、日本食品輸出の高付加価値化で論じたクリーンラベルや機能性食品の展開とも重なる部分があり、養殖水産物についても「量」だけでなく「質」で稼ぐ方向性が今後一段と重視されるとみられる。陸上養殖への投資が実際の生産量拡大につながるかどうか、そしてニッスイなど大手企業の海外生産拡大が円滑に進むかどうかが、2027年度以降の輸出額の水準を左右する重要な変数になる。
Newscoda の見方
本サイトが注目するのは、日本の養殖水産物輸出が「量の拡大」ではなく「単価の上昇」によって主に支えられている点だ。ブリの輸出額が上半期で69%増となった背景には、生食需要の拡大に伴う国際価格の上昇が大きく寄与しており、生産量そのものの急拡大を伴っているわけではない。この構造は短期的な増収要因としては強いが、価格変動に対する脆弱性も同時に抱え込んでいることを意味する。
多くの論調は輸出額の過去最高更新という数字を前向きに取り上げるが、Newscodaとしては、世界の養殖上位10カ国に日本が入っていないというFAOの統計こそが、この産業の実力を測るうえでより重要な指標だと考える。種苗・飼料という川上のコスト構造にメスを入れない限り、輸出の追い風は円安と海外の生食ブームという外部要因に依存し続けることになる。
今後6〜12か月で観察すべき変数:
- ブリ・サーモンの輸出単価と数量の内訳の推移(価格主導か数量主導かの見極め)
- ニッスイの南米サーモン事業統合による2027年度以降の収益貢献の実績
- ピュアサーモン・ジャパンなど陸上養殖施設の商業生産開始後の稼働率とコスト水準
- 中国向け水産物輸出の回復度合いと代替市場(北米・ASEAN)への定着度
まとめ
円安と海外での生食需要拡大を追い風に、日本の養殖水産物輸出はブリ・サーモンを中心に過去最高の更新を続けている。2025年の水産物輸出額は4,231億円(前年比17.2%増)、2026年上半期のブリ輸出額は69%増と、いずれも力強い伸びを示した[2][6]。ニッスイの南米サーモン事業拡大や、外国資本による陸上養殖施設への投資も、この成長を裏付ける動きだ[4][5]。しかし世界の養殖生産量で見れば、日本は上位10カ国に入らず、ノルウェー・チリなど養殖大国との差は依然として大きい[1]。種苗・飼料コストの高さという構造的な弱みを克服できるかどうかが、輸出拡大が一時的な追い風にとどまるか、持続的な産業成長へとつながるかを左右する分岐点になる。
Sources
- [1]FAO — Report: Global fisheries and aquaculture production reaches a new record high
- [2]農林水産省 — 「2025年の農林水産物・食品の輸出実績」について
- [3]農林水産省 — 「2024年の農林水産物・食品の輸出実績」について
- [4]Nissui — Nissui Group to Expand South American Salmon Aquaculture Business 2.5-Fold Through Full Acquisition of Chilean Producer Pesquera Yadran S.A.
- [5]Fortress Investment Group — Pure Salmon Japan Secures Preferred Note Investment of Over USD 180 Million
- [6]SeafoodSource — Japan's seafood exports on track for a record year
- [7]JETRO — Yellowtail (Buri)/Young Yellowtail (Hamachi)
関連記事
- ビジネス
ジャパニーズウイスキー輸出拡大の構造 スコッチ産業との違いを読む
円安と海外需要で輸出が伸びるジャパニーズウイスキー。原酒不足や表示基準の未整備という制約を、規模とGI制度で先行するスコッチ産業と比較し構造的な違いを分析する。
- オピニオン
「魚が獲れない国」に近づく日本 — サンマ・サケ不漁の先にある資源管理の空白
サンマの漁獲枠は過去最少を更新し、北海道の秋サケ来遊数も減少が続く。世界の漁獲量が増える中で日本だけが獲れなくなっている構造を、資源管理制度の不備という論点から整理する。
- 経済
自動車保険料はなぜ上がり続けるのか — 火災保険とは異なる値上げの構造
2026年、大手損保各社が自動車保険料を相次ぎ引き上げている。修理費・部品代・工賃の高騰と円安を背景とした値上げの構造を、自然災害要因の火災保険値上げと対比しながら整理する。
最新記事
- 経済
「こども誰でも通園制度」全国実施が問う保育供給の限界 — 月10時間の権利化と現場負担
2026年4月に全国展開した「こども誰でも通園制度」は、就労要件を問わず月10時間まで未就園児を保育所等に預けられる新給付制度である。制度設計の詳細と保育士不足という供給制約、家庭・保育現場への影響を一次資料から整理する。
- ビジネス
動物病院M&Aロールアップはなぜ広がるのか——ペット企業上場が映す業界再編の構図
2026年4月に東証グロースへ上場した犬猫生活は、ペットフード販売と並行して動物病院のM&Aを推進する。獣医療業界に広がる後継者難と収益力格差、海外PE資本による大型ロールアップの動きを踏まえ、動物病院の経営統合が加速する構造と論点を整理する。
- マーケット
損保再編の核心―三井住友海上とあいおいニッセイ同和、合併の勝算と課題
MS&AD傘下の三井住友海上とあいおいニッセイ同和損害保険が2027年4月をめどに合併する。海外事業に強い前者とテレマティクス保険に強い後者、両社の強みの違いと合併の意義・論点を整理する。