深海底鉱物レースの始動 — トランプの「ISA迂回」戦略と中国の国際秩序内優位が問う共通遺産の危機
2025年4月トランプ大統領令が国際海底機構を迂回し、米国内法でクラリオン・クリッパートン区域の採掘許可へ。中国が5件のISA探査契約で内側から優位を確保する中、37カ国が反対するガバナンス危機を検証する。
はじめに
地球の海底4,000〜6,000メートルに眠る多金属団塊(ポリメタリック・ノジュール)は、ニッケル・コバルト・銅・マンガンを豊富に含む直径数センチの鉱石だ。電気自動車(EV)のバッテリー製造やAIデータセンター向け半導体の素材として不可欠とされるこれらの重要鉱物は、陸上資源が地政学的リスクの高い特定国に偏在している現実を背景に、深海底という新たなフロンティアへの関心を急速に高めている。中でも太平洋のメキシコとハワイの間に広がるクラリオン・クリッパートン区域(CCZ)は、211億トンの多金属団塊が堆積すると推計される地球規模の資源宝庫とされる [3]。
しかし深海底採掘を巡る国際秩序は、2025年から2026年にかけて根本的な亀裂を生じている。2025年4月24日、トランプ大統領が署名した大統領令「海洋沖合の重要鉱物・資源の解放」が、国連海洋法条約(UNCLOS)の下で深海採掘を管理する国際海底機構(ISA)を迂回する形で、米国内法に基づく国際海域での採掘許可を推進する方針を示したためだ [1]。37カ国が反対を表明する中、中国はISAの内側で着々と優位を構築するという構図が鮮明になっている [5]。
トランプ大統領令とその法的根拠
1980年法と米国の単独行動路線
トランプ政権が採掘許可の法的根拠として持ち出したのは、1980年に制定された「深海底硬岩性鉱物資源法(Deep Seabed Hard Mineral Resources Act)」だ。米国がUNCLOSを批准していないことは周知の事実であり、この法律は国際条約の枠外で深海底資源を開発する権限を行政府に与えているとされる [1]。UNCLOSを批准した世界の主要国の中で、主権国家として唯一UNCLOS外に立つ米国がこの論理を押し進めることは、国際法秩序に深刻な緊張をもたらすと指摘される [2]。
大統領令はアメリカ内務省の土地管理局(BOEM)と国立海洋大気庁(NOAA)に対し、国際水域における採掘許可プロセスの整備を指示した。NOAAはカナダの上場企業ザ・メタルズ・カンパニー(TMC)の米国子会社TMC USAが申請していた商業採掘許可について、2026年3月に「実質的適合(substantially complete)」との判断を下した [6]。対象となる資源は推計6億1,900万トンのCCZ内多金属団塊であり、採掘開始に向けた規制審査が本格化するとされる。
ISAとの制度的衝突
ISAは1994年のUNCLOS発効に伴い設立された国連機関であり、深海底を「人類の共通遺産(Common Heritage of Mankind)」とする原則のもと、採掘規制の策定と探査契約の管理を担っている [3]。2026年1月31日時点でISAが管理する探査契約は世界で31件(うちCCZに17件)を数える。これらの契約を持つ企業・国家機関は数億ドルを投じた探査データを蓄積しており、ISAの商業採掘規制(採掘コード)の最終化を待ち続けてきた [4]。
2025年7月に予定されていたISAの採掘コード最終化は交渉の難航により頓挫し、2026年も交渉が継続している [4]。この遅滞の中で米国が独自の採掘許可を進めれば、ISA加盟国の多数が反発し、規制の二重化・重複・矛盾という制度的混乱が深海底ガバナンスに生じることは必至とされる [2]。英国・フランス・ドイツを含む37カ国がモラトリアムまたは予防的一時停止を支持しており、「新たな採掘行為は環境リスクの科学的評価が完了するまで行うべきでない」との立場を維持している [5]。
中国の「制度内優位」戦略
ISA探査契約最多保有国の戦略的含意
中国はISAの採掘コード交渉において、一方で多国間主義への支持を公言しながら、他方で探査契約の最多保有国として事実上の先行優位を確立している。2026年時点で中国系機関が保有するISA探査契約は5件と主要国中最多であり、中国五鉱集団(China Minmetals)は2025年5月にISAから採掘試験の承認を取得したとされる [1]。
探査契約は採掘ライセンスとは異なるが、膨大な資源量の確認データと採掘適地の先占権を与える点で戦略的に重要だ。ISAの採掘コードが最終化された際に商業採掘ライセンスへの転換において有利な地位に立てるとされる [3]。中国がISAの内側から制度形成に参加しつつ実地データを積み上げる戦略は、米国がISA外で単独行動路線を取る姿と対照的であり、中長期的な覇権争いという視点から国際社会の関心を集めている [4]。
重要鉱物チョークポイントとしての深海底
CCZに眠る多金属団塊の推計含有量は、ニッケル約2億7,000万トン・銅約2億3,000万トン・コバルト約5,000万トン・マンガン約59億5,000万トンとされる [1]。これはEVバッテリーや電力インフラに必要な重要鉱物の世界陸上埋蔵量に匹敵するか、それを大幅に上回る規模だ。陸上のコバルトはDRCに集中し、ニッケルはインドネシアとフィリピンに偏在している現実を踏まえれば、深海底資源は供給多角化の観点から戦略的意義を持つとされる。
この文脈でレアアースを含む重要鉱物の供給チェーン全体を俯瞰すれば、深海採掘は中国依存のリスクを軽減する手段の一つとして米国が注目している [1]。より広い観点からの分析についてはレアアースとサプライチェーンの地政学的再編を参照されたい。
環境・生態系リスクと科学的不確実性
深海底生態系への回復不能なダメージ
深海採掘の最大の懸念の一つは、CCZをはじめとする深海底生態系への環境影響とされる。科学調査によれば、CCZだけで5,000種以上の新種が確認されており、その多くは採掘対象となる多金属団塊そのものを生息基盤として利用しているとされる [5]。深海底の生態系は極めて低い生産性と超長期の回復サイクルを特徴としており、採掘によるかく乱が数十年から数百年にわたって持続するリスクが指摘されている。
採掘機械が海底を走行する際に生じる堆積物プルーム(沈殿物の煙)は、数百〜数千キロメートルにわたって拡散し、フィルターフィーダー(濾過摂食生物)を含む多くの生物の生息に影響を及ぼす可能性があるとされる [2]。採掘後の生態系再生を確認した長期的な科学的データはまだ存在しておらず、「予防原則(precautionary principle)」を適用すべきという主張には一定の科学的根拠がある [4]。
環境評価と経済合理性のジレンマ
一方で採掘推進派は、陸上採掘と比較した相対的な環境コストを指摘する。コバルト産出国DRCにおける露天掘りが引き起こす森林破壊・土壌汚染・労働権侵害と比較すれば、適切に管理された深海採掘は環境負荷が低い可能性があるという論理だ [1]。TMCはLCA(ライフサイクル評価)において、深海採掘がニッケル・コバルト生産における温室効果ガス排出量と環境影響を陸上採掘より削減すると主張している。
しかし、この主張に対する反論も根強い。深海生態系は陸上生態系とは根本的に異なる特質を持ち、単純な「環境コストの大小比較」には方法論的な問題があるとする科学者が多い [5]。採掘コードの策定が難航している一因は、規制上の環境基準(EBSAs:環境上重要な海域)の設定を巡り、採掘推進国と環境保護重視国が折り合えていないことにある [4]。
地政学的含意と国際秩序への影響
UNCLOSの権威と「法の支配」の試練
米国による1980年法に基づく単独採掘の強行は、深海底を「人類の共通遺産」として国際的に共同管理するUNCLOSの根本理念に抵触するとされる [2]。国際法上の問題点は二点に集約される。第一に、国際水域の海底資源に対し一国が内国法で権限を行使することの正当性。第二に、ISAによる収益の一部を開発途上国に配分するという共通遺産原則の実現が妨げられる可能性だ。
UNCLOS締約国からは、米国の行動が既成事実の積み上げによって多国間条約の実効性を骨抜きにするとの懸念が示されている [4]。これは単に深海採掘の問題にとどまらず、気候変動・核不拡散・貿易といった他の多国間レジームにおける「ルール違反の常態化」を招くとする議論とも接続される。
銅・コバルト市場への長期的影響
仮に深海採掘が本格化した場合、陸上採掘との競合による需給構造への影響は中長期的に無視できない規模になるとされる。CCZのみで陸上埋蔵量に匹敵する規模の鉱物資源が市場に参入すれば、コバルト・ニッケルの価格水準に下方圧力がかかる可能性がある。特にEVバッテリー向け需要が注目される銅については、銅のスーパーサイクルと構造的需要超過でも論じているように、供給側の新たな変数として深海採掘の動向が市場予測に組み込まれ始めている。
注意点・展望
2026年から2027年にかけての深海採掘を巡る情勢については、複数の不確実性が重なっている。まず米国におけるNOAAの採掘許可審査は環境影響評価(EIA)プロセスの完了が前提であり、訴訟リスクを含む法的障壁が実際の採掘開始時期を左右する。NOAAの「実質的適合」判断はあくまでも申請書類の完整性の確認であり、採掘許可の付与そのものではない点に留意が必要だ [6]。
ISA側の動向としては、2026年以降もセッションを重ねて採掘コード交渉が継続されるとみられる。EU諸国を含む複数の締約国は採掘コード完成前の商業採掘に反対する立場を維持しており、たとえ米国が国内法で許可を発行したとしても、他国籍船による搬出・輸送・売却に対する国際的な法的異議が提起される可能性がある [2]。
深海採掘を巡るレースは始動したが、技術・制度・環境の三つのフロンティアでいずれも課題が山積している。ウラン市場の復活が示すように重要鉱物の需給構造は急速に変化しており(ウラン市場の復活とエネルギー転換の交差点参照)、深海底という最後のフロンティアが問う問いの答えは、2026年時点ではまだ出ていない。
まとめ
深海底多金属団塊を巡る国際競争は、2025〜2026年にかけて地政学・国際法・環境科学の複数の次元を横断する構造的な問題として浮上した。トランプ政権によるISA迂回戦略は米国の重要鉱物確保という安全保障上の目的に裏打ちされているが、UNCLOS秩序への挑戦という副作用を持つ。中国はISAの制度内に留まりつつ最多の探査契約と試験採掘承認という優位を積み上げており、戦略の方向性は対照的だ。37カ国のモラトリアム支持が示すように、深海底の資源開発に対する国際社会の懸念は根強く、採掘コードの完成なしに商業採掘が本格化した場合のガバナンス危機は、「人類の共通遺産」という国際法原則そのものを問い直すことになる。
Sources
- [1]Trump's Deep-Sea Mining Executive Order — Race for Critical Minerals Enters Uncharted Waters
- [2]Mining Without Rules — The Risky US Bet on the Deep Sea
- [3]ISA Polymetallic Nodules Exploration Contracts
- [4]Harvard EELP Deep Sea Mining Tracker
- [5]International Deep-Sea Mining — The World Has No Rulebook
- [6]NOAA Determines TMC USA's Consolidated Deep Seabed Mining License Substantially Complete
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