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副業の壁はなぜ崩れないのか──労働時間通算撤廃が問う人手不足日本の選択

厚生労働省は副業・兼業の割増賃金計算に使う労働時間通算ルールの見直しを検討してきたが、2026年通常国会への法案提出は見送られた。国家公務員の兼業規制緩和も踏まえ、副業を阻む制度の実像と論点を整理する。

Newscoda 編集部

はじめに

厚生労働省は、副業・兼業を行う労働者について、本業先と副業先の労働時間を通算して割増賃金を計算するよう求めてきた現行ルールの見直しを検討している。焦点となっているのは、事業主が異なる場合でも労働基準法第38条に基づき時間外労働を通算しなければならないとする仕組みであり、この通算義務が事務負担を増大させ、企業が副業を許可することや副業人材を受け入れることをためらう一因になっているとの指摘が強まっている[1]。政府はここ十年近く「働き方改革」の一環として副業・兼業の普及を掲げてきたが、実際に副業を行う就業者の割合は依然として一桁台にとどまる[3]。総務省の就業構造基本調査によれば、副業者比率は2012年の3.6%から2022年には5.0%へと10年間で1.4ポイントしか上昇しておらず、税務統計から推計した副業者数もこの間おおむね横ばい圏で推移してきた[3]。労働力人口が減少し人手不足が深刻化する中、この制度的な障壁を取り除くことが労働市場の柔軟化にどこまで寄与するのか、そして何を犠牲にし得るのかが論点になっている。

通算撤廃を求める推進派の論理

労働基準関係法制研究会が2025年1月に公表した報告書は、副業・兼業に関する労働基準法制の見直しの方向性を具体的に示した[1]。

推進派が描く新しい枠組み

現行制度では、労働者が本業と副業の双方で雇用契約を結んでいる場合、両方の労働時間を通算し、法定労働時間(1日8時間・週40時間)を超えた部分について、契約締結の順序等に基づいて時間外労働と扱い、いずれかの事業主が割増賃金を支払う仕組みになっている[1]。厚生労働省のガイドラインは、労働契約の締結順に所定労働時間を通算し、その後に生じた所定外労働を通算する方法か、あらかじめそれぞれの事業場での労働時間の上限を設定しておく「管理モデル」を用いる方法のいずれかを示しているが、いずれも本業先と副業先の間で日々の労働時間をすり合わせる必要があり、労働者自身が細かく自己申告する負担も大きい[1]。

研究会報告書は、この割増賃金計算のための労働時間通算を、事業主を異にする場合には撤廃する方向を打ち出した。副業・兼業は労働者の自発的な選択によるものであり、使用者が命令して時間外労働をさせる場合の補償や抑制という割増賃金の趣旨は、本業先と副業先の双方に及ぶものではないという整理に基づく[1]。撤廃が実現すれば、各企業は自社における労働時間のみを基準に割増賃金を計算すればよくなり、企業側の事務負担は軽減される。ただし報告書は、健康確保のための労働時間の把握・通算までは維持すべきだとしており、割増賃金の計算と健康管理を制度上切り分けるという設計になっている点は見落とされやすい[1]。

報告書は国際比較にも触れている。欧州諸国の半数以上では実労働時間の通算を行う仕組みが維持されているものの、フランス・ドイツ・オランダ・イギリスなどでは、副業・兼業を行う場合の割増賃金の支払いについては労働時間を通算しない仕組みになっているとされる[1]。日本のように割増賃金の計算まで事業主を跨いで通算する制度は、必ずしも国際的に主流とはいえないという位置づけが、撤廃を後押しする論拠の一つになっている。

推進派のメリット・デメリット

推進派が期待する効果は明確である。企業が副業人材の受け入れに踏み切りやすくなり、労働者も本業先に副業を申告しやすくなることで、労働市場全体を通じた人材の再配置が進みやすくなるとされる[1]。人手不足が深刻化する業種・企業にとっては、雇用契約を伴う副業人材の活用が実質的な労働供給の拡大策になり得る。

一方でデメリットもある。割増賃金の通算を外しても実労働時間そのものが減るわけではなく、健康確保のための通算管理を確実に機能させなければ、過重労働が是正されないまま制度だけが緩和されるリスクが残る[1]。また、割増賃金という経済的な歯止めが外れることで、企業側が副業先の労働時間を軽視するインセンティブが生まれかねないという懸念も研究会内部で示されている[1]。

通算維持に立つ慎重派の論理

一方で、労働時間通算の仕組みを性急に緩めることへの慎重論も根強い。

慎重派が指摘するリスクの構造

慎重派が重視するのは、副業・兼業を行う労働者の健康リスクである。労災保険の精神障害認定基準では、休日のない長期間の連続勤務が心理的負荷を生む具体的な出来事の一つとされており、実際に連続勤務による精神障害の労災認定事案も生じている[1]。副業を行う労働者は、本業先だけを見れば法定の上限規制内に収まっていても、副業先を合算すれば長時間労働になっているケースが起こり得る。慎重派は、割増賃金の通算を外すことが「実労働時間の見えにくさ」を助長し、健康確保のための通算管理そのものが形骸化する入り口になりかねないと懸念する。

さらに、労働基準関係法制研究会の報告書自体が、労働時間法制全体について労働者を「守る」ことと多様な働き方を「支える」ことの両立を掲げていることも、慎重派の立場を補強する[1]。研究会は、休日のない連続勤務の日数制限や勤務間インターバル制度の義務化検討など、労働者保護を強化する方向の提言も同時に行っており、副業の割増賃金通算撤廃だけを切り離して先行させれば、規制全体のバランスを崩すおそれがあるとの見方もある。

慎重派のメリット・デメリット

慎重派の立場を貫けば、労働者の健康確保という観点でのメリットは大きい。使用者を跨いだ長時間労働の実態を把握し続けることで、過労リスクの早期発見につながる。

デメリットは、企業側の事務負担が現状のまま据え置かれることで、副業を許可する企業の増加ペースが鈍り、労働市場の柔軟化が遅れる可能性があることだ。実際、2026年の通常国会への法案提出は、規制緩和を志向する政権の方針と、規制強化を志向する研究会報告の方向性が整合しなかったことなどを背景に見送られたと報じられており、2027年の国会への再提出が取り沙汰されているものの実現時期は不透明なままである[5]。

両者の比較

主要指標による横並び

比較項目通算撤廃を求める推進派通算維持を求める慎重派
主な担い手規制改革志向の政権方針・経済界・副業希望者労働者保護を重視する研究会内の議論・労災実務の知見
主な論拠煩雑な労働時間管理が副業許可・副業人材受け入れの障壁使用者横断の長時間労働が見えにくくなる懸念
対象とする通算割増賃金計算のための通算のみ撤廃を提案健康確保のための通算は双方とも維持で一致
想定される主効果副業容認企業・副業実施者数の増加過重労働の早期発見・是正
制度改正の状況(2026年7月時点)研究会報告は撤廃の方向性を提示済み法案提出は2026年通常国会で見送り[5]
実現時期の見通し早ければ2027年国会提出との観測現行の通算ルールが当面継続

適合ケースの違い

推進派の考え方が特に効果を発揮しやすいのは、正社員として雇用契約を結んだまま、業種の異なる企業でパートタイムなどの副業を行うケースである。人手不足が深刻な小売・宿泊・介護等の業種では、雇用契約に基づく副業人材を柔軟に受け入れられれば、既存の労働力を再配分する形で人手不足を緩和できる可能性がある。実際、日本銀行短観の雇用人員判断DIは2025年4-6月期に全産業で-35まで落ち込み、過去30年で最も労働力不足感が強い水準の一つとなった[4]。

一方、慎重派の懸念が特に当てはまるのは、長時間労働が常態化しやすい業種や、裁量労働制・管理監督者など実労働時間の管理が緩い働き方をしている労働者が副業を行うケースである。こうした場合、割増賃金という経済的な歯止めがなくなれば、健康確保のための通算管理がよほど実効的に機能しない限り、過重労働のリスクを高めかねない。

また、副業者の実像を見ても一様ではない。財務省の統計分析では、副業を行う人数は40〜64歳を中心に多く、65歳以上の層では2012年から2022年にかけて副業者比率が大きく伸びたとされる[3]。年金受給後の収入補完や社会とのつながりを目的とした高齢層の副業と、生計維持を主因とする現役世代の副業とでは、通算ルール見直しが持つ意味合いも異なってくる。

選択判断の軸

企業が副業解禁の是非を検討する際の判断軸は、実務上の事務負担と労働者の健康管理体制のどちらを先に整えられるかに集約される。割増賃金の通算ルールが現行のまま維持される間は、副業を許可する企業であっても、本業先と副業先の労働時間を日次で把握し合う体制を整えなければ法令違反のリスクを抱えることになる。厚生労働省が示す「管理モデル」を導入すれば通算計算自体は簡素化できるが、それでもあらかじめ双方の事業場で労働時間の上限を取り決めておく手間は残り、専任の労務担当者を置きにくい中小企業ほど導入のハードルは高い。中小企業を含め、こうした管理体制を独自に構築できる企業は限られており、ジョブ型雇用への移行の議論とも重なるように、外部労働市場を通じた人材の流動化を進めるには、個々の制度的な障壁を一つずつ取り除く地道な作業が避けられない。

また、副業・兼業をめぐる制度改革は、年収の壁の見直しと同様、就業調整という行動変容を制度改正によって解消しようとする点で共通する。就業者が制度上の「壁」を意識して労働時間を抑制する構造は、扶養控除等の年収基準だけでなく、副業・兼業の労働時間通算にも当てはまる。国家公務員についても、2026年4月から自ら営む事業の兼業承認基準を見直し、職員の知識・技能を生かした事業や社会貢献に資する事業を新たに承認対象に加える制度改正が実施される予定であり[2]、2025年8月の公務員人事管理に関する報告では、兼業を行いたいと回答した職員が3割を超えたとされる[2]。民間・公務双方で、副業に対する潜在的な需要は制度が想定するよりも大きい可能性がある。もっとも、経団連会員企業を対象にした調査では副業を「認めている」「認める予定」と回答した企業が7割に達した一方、従業員100人未満の企業では4割程度にとどまるとの結果もあり、企業規模による対応の差も、シニア人材の賃金制度改革を巡る議論と同様、中小企業の実務負担をどう軽減するかという課題を伴う[6]。

Newscoda の見方

Newscodaは、今回の焦点が「副業解禁の可否」ではなく、割増賃金計算という限定された論点における労働時間通算の撤廃にとどまる点を重視する。健康確保のための通算管理は維持される設計であり、「副業の全面解禁」といった単純化された理解とは距離がある。それでも、企業の事務負担を左右するのはまさにこの割増賃金計算の通算であり、限定的な制度改正でも副業人材の受け入れ行動に影響を与え得る。

一方で見落とされやすいのが、2026年通常国会への法案提出が見送られたという事実そのものである[5]。政策の方向性が示されても実際の法改正までには政治的な調整を要する局面が続いており、拙速な期待は禁物だ。

今後6〜12カ月で注目すべき変数は次の通りである。

  • 労働基準法改正案の2027年通常国会への提出可否とその中身の変化
  • 割増賃金通算撤廃と健康確保のための通算維持を両立させる制度設計の具体化
  • 企業の副業容認率と実際の副業実施率との乖離が縮小するかどうか
  • 国家公務員の自営兼業制度見直し(2026年4月施行)の運用実態と承認件数の推移
  • 人手不足業種における雇用契約型副業人材の活用事例の広がり

まとめ

副業・兼業を巡る労働時間通算ルールの見直しは、割増賃金計算という限定的な論点でありながら、企業が副業人材の受け入れに踏み切れるかどうかを左右する実務上の焦点となってきた。労働基準関係法制研究会は通算撤廃の方向性を示した一方、健康確保のための通算管理は維持するという設計を提示しており、単純な規制緩和とは性格が異なる[1]。もっとも、2026年の通常国会への法案提出は見送られ、実現時期は不透明なままだ[5]。副業者比率が5%前後にとどまってきた背景には、この制度的な障壁だけでなく、企業文化や労働者側の意識も絡んでおり、制度改正が実際にどこまで行動変容を促すかは、今後の運用実態を注視する必要がある。

Sources

  1. [1]労働基準関係法制研究会報告書(厚生労働省、令和7年1月)
  2. [2]自営兼業制度の見直しについて(概要)(人事院、令和7年12月)
  3. [3]副業の実態把握(財務省広報誌「ファイナンス」2025年10月号)
  4. [4]OECD Employment Outlook 2025: Japan
  5. [5]Japan's workhorse Prime Minister tests labour limits — East Asia Forum
  6. [6]国内トピックス「約7割の企業が副業・兼業を『認めている』『認める予定』」(労働政策研究・研修機構)

よくある質問

労働時間通算ルールが撤廃されれば副業は全面的に解禁されるのか
いいえ。研究会報告書が撤廃を提案しているのは割増賃金計算のための労働時間通算に限られる。健康確保を目的とした労働時間の把握・通算は維持する方向で議論されており、副業そのものへの規制が全面的になくなるわけではない。
副業の労働時間通算を見直す労働基準法改正案はいつ国会に提出される見通しか
労働基準関係法制研究会は2025年1月に報告書を公表したが、規制改革を志向する政権方針との調整がつかず、2026年の通常国会への改正案提出は見送られた。2027年国会への再提出が取り沙汰されているが時期は確定していない。
日本で実際に副業を行っている就業者の割合はどの程度まで増えているのか
総務省の就業構造基本調査によれば、副業を行う就業者の割合は2012年の3.6%から2022年には5.0%に上昇した。10年間で1.4ポイントの伸びにとどまっており、政府が長年掲げてきた普及目標に対しては緩やかな増加ペースにとどまっている。
副業を容認する企業の姿勢は、企業の規模によってどのくらいの差があるのか
経団連会員企業を対象にした調査では副業を「認めている」「認める予定」と回答した企業が約7割に達した一方、従業員100人未満の企業では約4割にとどまるとされる。労務管理体制を独自に整備しにくい中小企業ほど対応が遅れる傾向がある。
国家公務員の兼業に関する規制は2026年にどのように見直されたのか
人事院は2026年4月から、国家公務員が自ら営む事業の兼業承認基準を見直し、職員の知識・技能を生かした事業や社会貢献に資する事業を新たに承認対象に加えた。2025年8月の報告では兼業を希望する職員が3割を超えたとされる。

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